東京永久観光

【2019 輪廻転生】

★TOKYO 2021 美術展

このあいだ(9.21)見に行った「TOKYO 2021 美術展」

 

ふと高校や大学のころの文化祭の日を思い出した。ふだん使っている建物や部屋に、見慣れないへんな創作物が、自在に置かれて、乱雑に広がっていくような、そんな感じがしたからだろうか。

 

それにしても、年に1回も行かない美術展にたまに行くと、いや〜美術には他のものには代えがたい面白さがあるなと、大枠すぎる衝撃がどどんと襲ってくる。

 

しかしまあ、なんだこれはという想像力、なんでこの人わざわざこれをわざわざこうしたのかという想像力、こっちはこんなこと思いついたけどどうなんだという想像力。そんな作った人と見ている自分の投げ合いのような想像力が、移動するたびに試される感じ。めんどくさいのだけれど、悪くない。

 

作品の1つ。池袋西口でインタビューした不特定多数の人たちの動画が、一人ずつの顔入りDVDパッケージになって陳列されている。好きなものを手にとり、その奥のカーテンで仕切られた狭い個室に入って、ひとりで再生して視聴する。そんな思いがけないプライベートな空間と時間の体験。

作家が投げかけるまことに鋭い想像力も魅力だが、この、どこか緩そうでじわりとくる想像力もまた、捨て置けない。質問はあえて紋切り型で、池袋について日本の豊かさについて好きな人について、と答えさせ、最後に「あなたはだれですか」。寺山修司が昔作った映像作品を踏まえているようだ。

 

いずれの作品も、ひとり向き合い黙って問いかければ、なんらか回答が戻ってくる。想像力が交錯するのだから、誤解・誤配は避けられないだろう、でもそれ以外の美術はないのだからかまわない。それに、私とこの人(作家)はどうしたって同じ時代に同じ場所でなんとかやっているのだなと、確信する。

 

そんな思いがさめないまま、外に出て東京駅に戻る。会場になったビルもそのようだが、八重洲の界隈は再開発の最中でクレーンが林立していた。

さてそうすると、先ほどの美術展には人工物が粋を極めて並んでいたわけだが、美術展の外も、山道や離島ではないので、人工物がぎっしり並んでいる。都心ともなれば複雑で高品質の人工物が多い。こっちは本来想像する余地のない実用物ばかりのはずだが、それでも勝手に想像力は動いてしまう。

その実用の人工物に対する想像力にも、誤解や誤配はありうるのか。それとも、表現ではない人工物や正解の用途しかない人工物に対して、想像力を試すのはナンセンスであり、そもそも誤解や誤配は出てきようがないのだろうか? 歩きながら そんなことを考えた。

そして、私たちは人工物ばかりの環境に暮らしており、実用といえども圧倒的な迫力やイメージの人工物も目白押しなので、それらとは決定的に違うべき人工物を創造し、かつ、それらを上回る迫力やイメージを現出させるという営為(美術)は、もちろん限りなくリスペクトするが、限りなく大変だなとも思った。

 

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