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【2019 輪廻転生】

★ビッグ・クエスチョン〈人類の難問〉に答えよう/スティーブン・ホーキング=夏の宿題2019=

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「ホーキング、私と同じこと考えてた!」という実感。

「私、ホーキングと同じこと考えてる!」でもいいのだが、独立してホントに同じ問いにとらえられたし、独立してホントに同じ答えにたどりついた。そんな親近感がぬぐえない。

 

<9月12日>

具体的な共感点を少し。「宇宙に知的生命が存在するか」で、人間は言語と出版によって進化の新しいフェーズに入ったと明言する点。《人間の内部で起こる生物学的進化の速度は、一年間に一ビットほどだ。一方、英語で書かれた新刊本は一年間に五万点にのぼり、情報量はざっと一千億ビットになる》

なぜ知的生命はいまだ訪れないのかという疑問には、次のように考えている。

《私たちは、進化が起これば必然的に知的生命が出現すると考えがちだが、そうではないとしたら? しかし、人間原理の警告に耳を貸すなら、この手の人間を特別視する論法には慎重になるべきだろう。もう少しもっともらしい説明は、進化は多くの結果につながるランダムなプロセスであり、知性の出現は、起こりうる多くの結果のひとつにすぎないというものだ》

これは論理が入り組んでいて真意がわかりにくいが。人間のような知性の出現は、めったに起こらないことのなかでも特にめったに起こらないこと、という意味だろうか。生命の出現が珍しいなかでも人間のようなものの出現はもっと珍しいけれど、そもそも宇宙においては鳥のようなものの出現もゾウのようなものの出現も、いずれも同じくらい珍しいと。

 

エスチョン「人工知能は人間より賢くなるか」でも、まず人間について

《宇宙はそのとき目覚め、自らの存在に気づいた。私たち自身は星屑にすぎないけれど、自分たちの住処であるこの宇宙についてこれほど詳細な知識を持つようになったことを、私はひとつの勝利だと考えている》

いいね!

とはいえ《ミミズの脳の働きと、コンピュータの計算の仕方とのあいだに重要な違いはないと私は考えている。また、進化ということから考えて、ミミズの脳と人間の脳とのあいだに定性的、つまり質的な違いはあるはずがないとも信じている》

脳は計算機かつ進化の産物なりと。この基本認識にもハグ!

では人間の今後は?

《人間の脳をインターネットに接続することができれば、ウイキペディア全体がその人のリソースになるだろう》

《人間と装置、そして情報が相互にコネクトされるようになるにつれて、世界が変化する速度はどんどん上がってきた》

迷わずあっさり。ホーキングは科学的ポピュリスト?

 

さて同書最初のクエスチョンは「神は存在するのか」だ。

答は「神はいない。それでも宇宙は生成・存在できる」であり、それがホーキングの考えの根底にあることは過去の書から薄々いや重々わかっていたが、改めて寂しげな感慨に到る。とはいえホーキングさんは存在した。死の虚しさこそ死の価値か。

 

死んだら終りなのか、神はいないのか、今年の夏もそんなことばかり考えて、気がつけばもう9月で、そうしたら台風にも襲われて、それでも暑さがぶりかえしたりしている。

 

<9月14日>

そんなのいくら考えても絶対わからない、という感じはある。とはいえ、「死んだら終りか」は「神はいないのか」と実は同じ問いであり、「神はいないのか」の底には「なぜ何もないのではなく何かがあるのか」という謎がある。それくらいのことは、数年たってくっきり形を成してくる。

それと、アウグスティヌスやアクィナス(秋茄子)ならば、現代の人に比べ、はるかに深くはるかに細かく「神とは?」を問うていたことだろう。たとえば以前ブッシュ大統領がアフガン戦やイラク戦に際して「神に祈っている」と伝えられたときに、単調さしか感じなかったのに比して。

ただ、ひるがえって、トランプ大統領ときたら、もはや「神に祈る」なんていうモードは、まるきり存在しないようにみえる。少なくとも内心では。そっちのほうが驚くべき事態かもしれない。神をめぐる著しい単調さ(ブッシュ)。はたまた著しい薄っぺらさ(トランプ)。どっちがいいですか? ――無神論の私が激しく悩む。

 

もう1つ重要なことを書いておくと。去年途中まで読んだメイヤスー『有限性の後で』は、結局やっぱりこの「なぜ何かがあるのか〜神はいないのか」をめぐる思索だったような確信が、大きくなっている。

『有限性の後で』は、「なぜ何かがあるのか」という山が霞んで見えないほどそびえているけれど、ホントは幻の山にすぎないことこそを、暴こうとしたのではないか。ただし、それを暴くため『有限性の後で』は別の霞んで見えないほどそびえる山に登る感じだった。そして大キレットで遭難滑落。

きょうはこれくらいで。

 

いや世間は3連休なのでもう一言。

「死んだら終りか」「神はいないのか」の問いは、「死んだら終り」「死んでも終りではない」両方の答えがありうる。「神はいないのか」も「神はいない」「神はいる」の両方の答えがありうる。しかし「なぜ何かがあるのか」は、そもそも問いの形式が違う。

 

いやしかし、そんな発見を伝えたかったのではない。

「何もない」ということがそもそもどういうことかをまず問いつめることになるだろう。しかし、どれだけ問いつめても、どうしても扱いあぐねてしまいそうだ。そのとき、「何もないということは実は絶対に明らかにできないことなのだ」ということ自体は、明らかにできるのだろうか?

それを「明らかにできるのか・できないのか」自体すら、明らかにできないということは、ないのだろうか?(なんとなく不完全性定理っぽくなってきて、日も暮れてきた)

問い自体は言葉にするとちっとも難しくない。「何もないってどういうこと?」 でも、答えはまったくわからない。