「現代の言葉はリンク先に意味が顕在化してしまう」という話の続き。
このときの際立った特徴は、言葉が他の言葉(意味)と直接「接続」していることにあるだろう。それすなわち、事実としてインターネットに物理的に接続しているからでもある。
インターネットに接続していなかった時代、言葉はどこにも接続していなかった。つまり私の言葉は私の脳内の他の言葉だけに接続していた。
書物は脳とインターネットの中間的な存在だろうが、インターネットを体験してしまうと、もはや書物の言葉が他の言葉と接続しているようには感じられない。
私の結論は毎度「インターネットがすべてを変えた」「インターネットはすごい」ばかり。
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そういえば、このあいだホリエモンも「インターネットがすべてを変えたんです」と言い切っていたのが印象的だった。文脈は違うけれど、インターネットがすべてであるという前提は完全に一致する。
近畿大卒業式における伝説のスピーチと呼ばれているようだが、……なんと今みたらアクセスできなくなっている。
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.youtube.com/watch?v=Rj4KGWESgpI
これじゃあ接続でなくて切断じゃないか! 接続のインターネット、切断のユーチューブ。
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繰り返すけれど、インターネットは世界中の無数のコンピュータがことごとく繋がったことが本質と言える。これは単細胞生物から多細胞生物へと身体の複雑さが圧倒的に飛躍したことに匹敵するだろう。あるいは線虫ていどのゲノムと人間のゲノムを比較した場合の、遺伝子のネットワークの爆発的拡大。
C.エレガンス。
https://kotobank.jp/word/C.%E3%82%A8%E3%83%AC%E3%82%AC%E3%83%B3%E3%82%B9-157658
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ただし、世界中の言葉が接続したとはいえ、その大半は英語なのかと思うと寂しい。
――さて、言葉とおなじく経済も近ごろにわかに世界中が接続したわけだが、その本質は貨幣の接続だし、その実際はドルが地球の隅々にまで通用するようになったこと。
グローバルというのは英語とドルの世界接続。