読み始めた。大きな期待をさらに大きく上回って面白い。根源的にして実践的、しかも明瞭。ここ20年ほど、それを探しつつも、なぜか見つからず、もうそういうものは出てこないということなのか、と思っていた「現代・世界・原理」が一気に説かれていく予感。
「観光客」は導入の惹句かと思うと大間違い。それはなんとテロリズムのことだ。二次創作に通じ動物化に関わる。政治と文学の仲をとりもつ。カントとヘーゲルとシュミットとコジェーヴとアーレントを超え文化左翼もさくっと超えていく。未読の人は冗談かと思うだろう。
《マルチチュードが郵便化すると観光客になる。観光客が否定神学化するとマルチチュードになる》(p.159)
E=mc2 と聞いたくらいのインパクト。あるいはこれとか。
https://wikimedia.org/api/rest_v1/media/math/render/svg/e11c8220e14c2d1d0c270e59fbecb4d4bfb5565b …
では、否定神学のマルチチュードでなく郵便的な観光客であるために、どうしたらいいのかという話になり、出てきたのがなんと、スモールワールドおよびスケールフリーのネットワーク理論だった!
これは、私こそが10年前に『ゲンロン0』を書くべきだったか…という独特の感慨。5%くらい本気で思った。かつて書いたものがこちらにある。
http://www.mayq.net/imodzuru.html
ところで、実際の観光客としての実感も1つ述べるならば:
似たような観光客が似たような観光地を似たように観光し似たように感動し似たような写真をとり似たようなファイスブックを作る。わりとそうなりがちで、そうすると、スケールフリーでリンクの集中が起こるばかり、という可能性もある。
とはいえ、観光旅行では、まるで予想しなかった出来事によって、奇妙な所で、奇妙な通路が、奇妙な方向へ、開かれてしまうことも、たしかにある。観光客がいかに凡人でもときとしてありうる。それこそスモールワールドへの入口たりうるのだろう。
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昔の旅行記を思い出している。