東京永久観光

【2019 輪廻転生】

死が納得できないのは単なる不合理なのかもしれない


人工知能は時間を理解できても時間を実感できないのではないか、という問いがあるように思われる。ファミレーミファソーラシドードシラミー たとえばこのメロディーの良さは時間とともにしか実感できないだろう。彼らには音が流れるのでなく全部の音が重なった理解しかできない、という仮説。

しかし、そのかわりに彼らは、ものごと全体の構図や頻度や濃度といったものを一挙に把握できるのかもしれない。たとえば3.11で起こった揺れや津波の全体とか。原子のまわりを電子が回っているような回っていないような何とも言いがたい状況のズバリそのものとか。

では、生きることや死ぬことの理解や実感については、私たちと彼らのどちらが得意なのだろう。

「そりゃ私たちさ」と反射的に言いたくなる。

しかし、「自分が死ぬというのがどういうことか、どうにもわからない」といつも言うのは私たちのほうだ。少なくとも私のほうだ。

彼らは何と言うだろう。

死んだ大切な人が今もそこにいるように思うこと―― それは、その人が本当には生き返らないという事実からすれば、非科学的な不合理な考えであり、しかも、その人の死から自分が立ち直っていないことを意味する。しかし、私たちは非科学的で不合理でかまわないし、立ち直らなくてもしかたない。