あの会見によって、飾りにすぎなかった象徴天皇が飾りではなくなった。それを国民より本人が先に示した。そういうことなのだ(『朝ナマ』を見ていて、初めて気づいた)
SMAPがここまで国民に愛されていることが私には予想外だったが、天皇がここまで国民に愛されていることも私には予想外だ。
【ある解釈】天皇に敬語を使わないと間違っている感じがするのは「日本語の文法で決まっているからだよ」と思うと納得できる。
それはそうと――
http://www.huffingtonpost.jp/2016/08/25/burkini-ban_n_11711588.html
浜辺でブルキニを禁じてはならない、ということになると、こんどは、学校でスカーフを禁じる理由がわからなくなる(フランス)。どうなんだろうか。もちろん衣服を他人が引き剥がすのはブルキニやスカーフでなくても ただの暴力。
<以下は友人への応答として>
「仮の話ですが、イスラム教やキリスト教や天皇制による抑圧や差別がひどい場合、それに抵抗するためにブルキニや十字架や敬語を禁止するということは、ありえるかなと思いますね」
「それと、フランスは公立学校でスカーフや十字架を禁じているようですが、宗教に対して国家は中立であるべきだという理由だと思います」
「おそらく、スカーフや十字架をつける自由を禁じるというより、スカーフや十字架を強制される不自由を禁じる、という理屈なんじゃないでしょうか」
【結論】信仰によってブルキニを着る人や、信仰によって十字を切る人や、信仰によって敬語を使う人がいるのだ。