エマニュエル・ドットというフランスの偉い人がいると聞いて、新書を一冊読んでみた。フランス社会が抱えてしまった困難について、冷静な分析と明瞭な整理がなされる。勉強になった。以下、私なりの内容のまとめと感想。
<「私はシャルリ」の隠れた本音>
シャルリエブド襲撃(2015年1月)の直後、フランスでは「私はシャルリだ」のデモが異様に拡大した。トッドはまず、デモの主張に隠れていた本音をあぶりだす。
一言でいえば「弱者の宗教に唾を吐きかける権利を明確化しようとした」と捉え、批判するのだ。もう少し長く言えば「フランスの少数者であり弱者であり経済的社会的な苦況にある人々が尊敬している対象を、冒瀆する権利が私たちにはある。その権利は絶対であり、その意義さえもある」という主張だったのだと。
もちろん「イスラムを冒瀆する表現の自由を認めない」という見解ではない。「冒涜することを無益で卑怯だとする表現の自由を守れ」という主張だ。
この事件は当然ショックだったが、「私はシャルリだ」のデモにも私は微妙に違和感を感じたのを思い出す。それが上のように明確に断じられ、あのデモの本質が初めて納得できた気がした。
では、こうした本音を抱えつつ「私はシャルリだ」と掲げたのはいかなる人々なのか。トッドは3つの階層の混合体だという。すなわちカソリックゾンビ、中産階級、高齢者。――その実相は読み進むにつれてわかってくる。
<カソリックのゾンビ>
このうち「カソリックゾンビ」は著者自身による用語。フランスは革命の国であり自由平等博愛を建て前とするが、それと相容れないカソリックの伝統も地域によっては根強く残ってきた。しかしその伝統も1960年代から1990年代までに大きく崩れてしまった。つまりカソリックはとうとう本当に死んだ。とはいえ安々と死に切れるわけでもない。この事情が現在のフランス社会の変化や苦悩に大きな影を落としているというのだ。簡潔に言うなら、カトリックが消えた空白や不安に外国人恐怖が忍び込んできた。
これに絡む、次の指摘も非常に興味深い。
・古くからの無信仰者は、カソリックの伝統に対抗するという形で共和国の理想を追及できたが、その敵が消えて自らの基盤もあやうくなっている。代わりの標的を求めイスラム教を悪魔化した。
・ライシテ(フランスにおける政教分離=世俗主義の原則)といっても純然たるフィクションにすぎず、ライシテとカトリシズムは100年、激烈な抗争をしてきた。今日イスラム教徒に要求されている厳格なライシテを、カソリック教徒が受け入れていたことなど一度もない。
<平等主義の敗北>
「私はシャルリ」の大行進は、カトリックゾンビの迷走とともに、フランスの理想であった平等主義の敗北をも象徴していたと、トッドは強調する。同書がフランス社会の変動を分析していく最大の焦点はここにあると思える。
要するに、経済的な不平等という現実は、今やフランス国民の間で なし崩しに許容されるようになってしまった。
そう主張する前提として、デモには実際のところ所得の高い人々・教育水準の高い人々・支配層の人々が目立ち、中産階級もそれに引かれる形で大挙して参加したという事実が示される。もう1つの前提は、カソリックゾンビという事情に絡んで、カソリック信仰に親和的な地域や人々こそがデモに熱心だったという事実。そしてカソリックの伝統が根強い地域では、もともとフランスの掲げる平等や共和主義と相容れない共同体を長く営んできたという事実。しかも、中産階級を含む経済的に比較的恵まれた層とカソリック信仰をもつ層とはかなり重なっているという事実。これらの前提をトッドはいくつかの調査データによって裏付ける。
ではなぜ、今のフランスは平等という価値を貫けないのだろう。また、なぜその変化が「私はシャルリ」の形でまとまったのだろう。その構図は複雑だが、トッドは1ずつ解きほぐすように解説している。断片的になるが以下に記してみたい
(続く)