東京永久観光

【2019 輪廻転生】

ひまわりと雨傘の彼方に…


台湾のひまわり運動(2014年)および香港の雨傘運動(2013年)を詳しく報告した新書を読んだ。(福島香織 著)

どちらもテレビのニュースでは眺めていたわけだが、「なんかそんなことがあったな」くらいの記憶しかなく、とりたてて意義や背景を考えたことがなかった。その前後にはどちらにも短い旅行までしているのに。

だから、それぞれの運動が経過してきた事情と攻防の一つ一つを読むと、今さらながら新鮮な興味がかきたてられた。

中国という大国に、抵抗しないではいられない現状。しかも屈服しないわけにもいかない現状。そうした台湾と香港の人々の苦悩が切実に感じられ、またその奮闘は涙ぐましくも思えてきた。

ひるがえって日本の私たちは、少なくとも、この種の厳しい政治的不自由は被っていない。自民一強の支配によって忍び寄るものは、それはそれでとてもイヤな何かだと感じるが、しかしそれはやっぱり、中国の支配によって台湾や香港に忍び寄るイヤな何かとは、決定的に質が違うだろう。

――というわけかどうかはさておき、同書のタイトルは『SEALDsと東アジア若者デモってなんだ!』なのだった。
 SEALDsと東アジア若者デモってなんだ! (イースト新書)

台湾や香港の学生運動だけを書いても本が売れないという出版事情があり、編集者の意向でシールズのパートは付加されたという。しかもインタビューができなかったことを断りつつ、彼らのことを論評している。

著者は安全保障関連法に明確に賛同する立場なので、シールズをどのように腐すのかと思って読んだのだが、案外、彼らの人柄にも思想にもチャームポイントを見出しているようであり、むしろ面白かった。

その結論のようなものが、シールズをよく知るという古谷経衡と著者の対話に示されていると思った(以下に引用)

《福島:ではもし、懸念されているような中国の覇権主義がさらに台頭して、日本に本当に危機が迫っているような状況になったとき、香港や台湾の若者と連携して立ち上がるのは、今の保守派デモに集っている人たちより、むしろSEALDs側に集まっている人たちなのでしょうか。

 古谷:それは、圧倒的にSEALDsの側の方ではないでしょうか。


さて、台湾と香港が中国の支配に抗えないというのは、端的にどういうことか。同書はそれを的確に解説していくが、私としては、ある思いがけないイメージも1つ浮かんできた。

イメージが浮かんできたのは、以下の雨傘革命の成果に関する考察を読んだとき。

そして、その行動を支持する人も、反対する人も、この運動をきっかけに香港の現状について思いをはせたことだろう。物価高や不動産の高騰、若者の就職難、新聞やメディアの精彩のなさ、古くから続く老舗のワンタン麺屋や素朴な香港料理の食堂が中国のファストフードチェーンに入れ替わっていく様子や、香港人が好んでいたような旺角の下町情緒あふれる商店街が、金銀宝飾品を売る中国人観光客向けの高級ショップにとって変わられるさま。百貨店やショッピングモールで耳にする言語が圧倒的に普通語となり、信じられないような勢いで高級品を買いあさる中国人観光客の多さにぼんやりと不満と不安を持っていた普通の香港市民は、その不満と不安感の本質が、ごまかしようのない「一国二制度」の危機であると、冷水を浴びせかけられたように思い知らされたことだろう。》(p.204)

素朴な食堂からファストフードチェーンへ。そう、押し寄せているのはグローバリゼーションなのだ。日本の私たちも同じものを山ほど目撃してきたではないか。そのグローバリゼーションが米国から発したか中国から発したかの違いがあるだけで。

さらに、グローバリゼーションに身を委ねることが損か得かといったら得なのであり、それをめぐるジレンマも以下のように指摘される。

香港の核心的価値を捨ててでも、中国に寄り添うことで経済さえ発展できればよいのだという考えもある。そういう意味では、漠然と中国の経済的思想と、英国統治時代の遺産である普遍的価値観の両方にあずかっていた香港人が、経済重視の親中派と普遍的価値重視の香港派に分かれて対立を深める事態になっていくだろう。それは、極限まで開いた貧富の差などと相まって、かつて無い不安定な時代を香港社会にもたらすかもしれない。》(p.211)

これまた他人事ではないなと、考えこむ。


 =さらに続く=