まだ、ピンカーの『心の仕組み(上)』を読んでいるのだが、「ボールドウィン効果」というものを、私は十分に知っていなかったということを知り、第二次大戦で日本が米国と戦ったことを知らなかったことを今知った、というくらいのショックを受けたほうがよい気がしてきた。
《Baldwinは,Darwin的な進化メカニズムにおいても,個体レベルの学習が集団レベルの進化に方向性を与え,「あたかも」獲得形質が遺伝するような進化のシナリオを描くことができると主張しました》
夜中にこんなことをいちいち書き留めるのは、われわれが何かを「わからない」のは、それについて単に「知らないから」であることが、ものすごく多いんじゃないかと、普遍的な反省に至ったからだ。
たとえば私は、金融緩和が不況対策として意味があるのかないのか、なんてことすら、実は今だによく「分からない」。でもそれは金融緩和が何であるかを、ただ単に「知らないから」なのだろう。
とりわけ今日は、「ポール・クルーグマン 『私が東京で言ったこと』」というのを読んでいて、やっぱりそう思った。
さて、「分からない」のは「知らない」からだ、がおおよそ当たっているとして、では、単に「知らない」のをどう克服したらよいのか。そりゃやっぱり単に「勉強する」しかないのだろう。
これまた、「食べれば太り、動けば痩せる」くらいにバカバカしく単純ではあるが、同じくバカバカしいほど強力な事実でもあるのだろう。
というのも、今日はこんなブログも読んだ(山口揚平さん)
《人はなぜ勉強すべきなのか?それは簡単です。知識は選択肢を増やします。選択肢は自由を増やします。自由は豊かさを増やします》と明快。そして…
《我々の悩みの本質は執着にあります。執着は意識の焦点が固定されること、すなわち選択肢の欠如にあります。知識は我々に新たな選択肢を与え、執着を、悩みをときほぐす力になります》!
たとえば、放射線が怖いけど福島に住んでいていいのだろうか。たとえば、地震が怖いけど東京に住んでいていいのだろうか。そんな悩みは、もちろん、友人や仲間やツイッターや信条や信仰がときほぐしてくれることもある。しかし、やっぱり、知識がときほぐしてくれることもある。
最初の話に戻ると、ボールドウィン効果が面白いのは、言い換えれば、ボールドウィン効果を知らないと困るのは、それを知らないと、獲得形質は遺伝するはずがないのに、あたかも獲得形質が遺伝したかのように見えてしまうことだ! こういう微妙で重大な誤解を私は多方面でしているのだろう。恐い。