東京永久観光

【2019 輪廻転生】

パリ同時テロ事件をめぐって


<11.14>
シリアは遠くないと常に言い聞かせないといけないくらいシリアは遠いが、パリは本当はどれくらい遠くないのだ?


<11.15>
In the Name of What ?》(http://jp.reuters.com/news/picture?articleId=JPRTS6Z3P&slideId=1094897006より11 / 35)

命を奪い命を捨てるほどの何が? "Nothing to Kill or Die for"

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殺すことが最悪なら、殺さないことが最良か、と問われる。それなら、攻撃に対する報復は最悪なのか、殺人に対する死刑もか、戦争に対する戦争ならどうだ、と。――おや、最後だけ用語に対称性がある!(「戦争」に対する「戦争」)

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地下鉄のサリンで死にたくないとか、核ミサイルで死にたくないとか、大地震で死にたくないとか、飛行機事故で死にたくないとか、私はたまに思うが、たまに思う程度なので、市街地の銃撃や爆発で死にたくないと思うのも、今だけかもしれない。それより私は普通の病気で死ぬ確率のほうが圧倒的に高い。

とはいえ、私1人例えば交通事故で死ぬのが絶望的なら、パリのテロによる128人の死は少なくとも128倍は絶望的だろう。しかしここで問われるのは、128倍どころか千倍も万倍も絶望的であるとしたら、その理由。また、先進国の戦闘がシリアの戦闘の何倍も絶望的であるとしたら、その理由。

現代史の節目のような日にツイッターでぶつぶつ言うのが関の山なのだが、個人史の節目(死ぬ日)にもやっぱりツイッターでぶつぶつ言うのが関の山なのだろう、と思う。


<11.17>
ツイッターのフォローをバランス良くというのは難しい。なんか気が合うねと足したり引いたりを繰り返すから、絶妙な偏りが生まれる。そのうちにタイムラインがたとえば「テロやろうぜ!」という心の友に埋め尽くされても、「べつにこれって世界の日常だよね」と思ってしまうかもしれない。