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【2019 輪廻転生】

瓢箪から第9条?


なにかを辞めるとか捨てるということが私たちは案外できない。フォローはしてもフォロー外しはなかなかしないとか。変えることの効果は、実際に変えてからでないと、なかなか実感できないものなのだ。

日本国憲法第9条もそうだろう。だから、第9条も、辞めたら捨てたらああなるこうなると、何度も何度もシミュレーションしてみるべきだ。それでもそうしたうえでやっぱり、このまま保持するほうがよいと、私は考えるだろう。

日本が70年間も戦争に巻き込まれなかったのは、平和憲法の効果もあれば、日米安保の効果もあろう。国際的歴史的政治経済の幸運や常識もあろう。いろいろあるが、平和憲法の効果もやっぱりあるだろう。

また、平和憲法があることで、国土や国民の平和を、守りやすい局面だけでなく、守りにくい局面も、たしかにあるだろう。それでも、差し引きをして、守りやすい局面の大きさのほうがはるかに大きいだろうと、漠然とだが、やっぱり思う。

私は本当に保守的だと思う。しかし、日本の現状が戦争か平和かといったら明らかに平和なのであり、それを単に固く守りたいだけの私の考えが、保守と呼ばれるのは当然。

建前ではなく実質をとろう。平和憲法は、建前としても大事かもしれないが、それ以上に日本にはとりあえず実質的に得なのだ。(日米安保もたぶん同じだろうが)

70年前に生きていたら、私は平和憲法に首をかしげただろうと思う。国が軍を持たないなんてあまりにも非現実的でバカバカしいと。それと、これも非常に重要なことだが、「1億火の玉」だったくせに平和憲法なんて、あまりにもなしくずしで手のひら返しで、そんなのは筋が通らないと思うから。

だから、70年前なら反対したはずの平和憲法に、70年後の今になって私は賛成する。なぜなら、結果的に得だったと考えるからだし、今後もなお得だろうと考えるからだ。それだけにすぎないが、それだけのことについて、今はもっと議論したほうがいいのではないか。

なお、これを付け加えると話は複雑になるかもしれないが:「原発をただちに捨てよ」という世論は、70年前にあったかもしれない「軍隊をただちに捨てよ」という世論に近いと、私は内心思っている。

つまり、原発をなしくずしに進めてきた日本が、あまりにもすんなり手のひらを返して原発を捨てようとしているのは、戦争をなしくずしに進めてきた日本が、あまりにもすんなり手のひらを返して軍隊を捨てようとしたのと、とても似ていないだろうか。

というわけで、私は今、「原発を捨てよ」と主張しているのかどうかに加え、「軍隊を捨てよ」と主張しているのかどうかすら、ちょっとわかりにくくなってしまったかもしれないが、べつにそうではない。