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【2019 輪廻転生】

★ブルーシート/飴屋法水


 ブルーシート


東日本大震災の被災地にある福島県いわき総合高校のグラウンドで『ブルーシート』という演劇が昨年上演された。飴屋法水という人が同校の生徒と一緒に作り上げたもので、その戯曲が2014年の岸田戯曲賞を受けた。それを読んだ。

たとえば私は、現代の生活を長く続けているが、そうした生活の焦点はいつもぼんやりしている。それなりにいろいろ喜んだり悲しんだりしているけれど、それらがくっきり一つの像に結ばれたという実感を、なかなか持つことがない。ところが、その生きていることの焦点というものは、なんらかの極点としてであれば、はっきり見つかることがあるのだ。そう気づいた。

極点とはもちろん東日本大震災のことだ。たとえば極限の体験といった言い方がこれ以上ぴったりくるものはないのだろうと私は想像している。

校庭にブルーシートが敷かれていたり、そこに人が横たわったりしていれば、どんな場合でも、見ている人には何らか一般的で普遍的なイメージが喚起される。それは演劇の原点にある力だろう。ところがこの戯曲を読んでいると、同じブルーシートや横たわる人が、明らかに個別で特殊な1つのイメージをありありと喚起する。それは個別で特殊にすぎないが極めて強いイメージなので、ふつう完全に負けるはずの普遍的で一般的な巨大イメージにも負けることなく相互作用する。

福島の災害を体験していない者、戯曲を読んでいるだけの者でも、この個別・特殊のイメージを大きく見間違うことはない。東日本大震災を私もその程度は知っていて彼らと共有もしている。(私にそう信じさせるだけの台詞と設定を彼らは選び抜いて示した、ということなのだろうが)


フミヤ  そんなの受け入れるしかねーじゃん。
ユカ   ………。
モモ   そうだね。受け入れるしか、ないね。
フミヤ  受け入れるしか、ねーよ。
     俺たちは、親の選んだことは、受け入れるしかねーんだよ。
     それがつまり、子供、ってことの意味じゃん。
ユカ   つまり、あきらめろ?
フミヤ  違うよ、あきらめろ、ってことじゃないよ。
     ただ、なんであれ、そのことを認めるしかない、ってことだよ。
     そんで、そこから始めるしか、手がない、ってことだよ。(p.61)


モモ   うん。なんかさ、うん、なんか眠くなっちゃうんだよ。なんでかな?    
     普通さ、地面が揺れたら、目が覚めなきゃおかしいじゃん。
     なのにさ、揺れるたんびに、眠くなっちゃうんだよ。(p.64)


フミヤ  逃げて! 逃げて! 逃げて!
モモ   ねえ、人は、何のために眠るの?
フミヤ  逃げて! 逃げて! 逃げて! 逃げて!
イズミ  屋根の形は三角です!
フミヤ  逃げて! 逃げて! 逃げて! 逃げて!
ナツキ  窓の形は四角です!
フミヤ  逃げて! こっから! 逃げて!
ユカ   灰色の猫、飼いたかったなー。
フミヤ  逃げて! 逃げて! 逃げて!
シガタツ 何度でも言う。
フミヤ  逃げて! 逃げて! 逃げて!
シガタツ 人は、見たものを、
フミヤ  逃げて! 外に! 逃げて!
シガタツ 覚えていることが、できると思う。
フミヤ  逃げて! 逃げて! 逃げて! 逃げて!
シガタツ 忘れることが、できると思う。(p.82)


屋根の形は三角です。窓の形は四角です。――うん、そりゃそうだ。
逃げて! 逃げて! 逃げて!――そんな気になることもある。
人は見たものを、覚えていることが、できると思う。忘れることができると思う。――これくらいの台詞だって、それなりに深い思いを込めて言うことが、誰しも人生のうちに何度かはあるだろう。

しかし私のそれは焦点があまりにもぼけぼけだ。そのことが、この演劇の極限まで明瞭で特殊な焦点を見せられると、初めてわかる。