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【2019 輪廻転生】

ヘイトスピーチをめぐって


現代の日本では、他人から殴られたり撃たれたりすることは滅多にないが、なんかいやなことを言われたり書かれたりすることはけっこうある。

ヘイトスピーチも、直接見聞きしてムカついたり落ち込んだりすることは、私は今ほとんどないが、ヘイトスピーチをめぐる言い争いを読んでムカついたり落ち込んだりすることは、私は最近とても多い。

そして困ったことに、ヘイトスピーチについて一言なにか言おう・書こうという気持ちが起こるのは、たいてい、ヘイトスピーチ「自体」を見聞きしたときではなく、ヘイトスピーチを「めぐる」言い争いを見聞きしたときなのだ。

インターネット上の言い争いに加わる人も、おそらくそうだろう。つまり、ヘイトスピーチ自体がムカついて・落ち込んでという動機以上に、ヘイトスピーチをめぐる言い争いにムカついて・落ち込んでという動機が大多数だろう。

だから「言い争いは空しい・卑しい」と言いたいのではない。私たちはそうした感情の動機付けがないと、なかなか思考も議論もツイートもしないのだから。

感情に動機づけられていることを承知してこそ、それを超えた冷静な思考や議論やツイートも可能になるのかもしれない。

……と、こういうわかったようなツイートをされると人はムカついたり落ち込んだりするのであり、そしてまたムカついたり落ち込んだりした人がそのムカツキや落ち込みをツイートするとまた誰かがムカついたり落ち込んだりするのであり、そしてまた……

そんなことばっかり何年も懲りずにやってます、という生活の報告でした。

しかし大事なことは、ヘイトスピーチを浴びせられるのは、最初に述べた「殴られる・撃たれる」とは明らかに違うとはいえ、「なんか言われてムカつく・落ち込む」とも明らかに異質だと思える点だろう。


◎以前の考察:http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20130328/p1