東京永久観光

【2019 輪廻転生】

旅先で読むジュリアン・バーンズ


今回の旅行にはジュリアン・バーンズ『終わりの感覚』を持ってきた。

ある作家の長編を1冊読むのは、ある国を1回旅行するのに等しいくらいのインパクトだろうと、私は思っている。

実際ふつうの人生を送っていれば、たとえば100人の作家をしっかり読むことはできない。同じく100の国をしっかり旅行することはできない。マイ・フェイバリットができるとしたら、生涯を費やしてもせいぜい10人そして10カ国くらいだろう。人生はそんなに長くない。

では、たった1冊の読書でいいのか? たった1回の旅行でいいのか? というと、それはそれでいいのだ。ある作家についてそしてある国について、そもそもほんの少ししか知ることができないという前提のうえで言えば、1冊の読書によってそして1回の旅行によって、私たちはかなり多くのことを知ることができる。そう確信する。

だから、私はジュリアン・バーンズの小説をたった3冊しか読んでいないけれど、それでもそれは相当の人生経験なのだ。『10 1/2章で書かれた世界の歴史』『フロベールの鸚鵡』『海峡を越えて』。

今回の『終わりの感覚』は、やや短めの一作だが、これまた最大級に素晴らしい。引用しておきたい箇所はきりがないが、さっき読んだところでは:

《人が年をとると穏やかになる理由などあるだろうか。人生に褒美が用意されていると決まっていないなら、終末に向かって暖かく穏やかな感情が用意されているとも決まってはいまい。ノスタルジアに何か進化論的な意義でもあるのだろうか。》(p.101 土屋政雄訳)

終わりの感覚 (新潮クレスト・ブックス)


1946年生まれのバーンズは2011年にこの小説を書いた(ちなみにブッカー賞を受けた)。私がこの年齢に達するのはまだだいぶ先だが、主人公のこれらの独白は将来つくづく身にしみることになるだろうということが、今つくづく身にしみる。

そして(本題といえばこちらが本題)、このルーマニアというまったく未知だった国がまた、バーンズという作家と同じく、私にとっては間違いなく10本の指に入ることになるだろう。いや1番かもしれないとすら思う。急にどうしてと思うが、たいていの国は急にどうしてという感じで旅をすることになるし、急にどうしてという感じで好きになったり嫌いになったりするものなのだ。たいていの作家もそうだろう。

ちなみに『フロベールの鸚鵡』は別の旅先で読んだ。よくわからない変な小説だったが、寝台列車に寝転びながら引きずり込まれた。もう15年も前になる。そんなふうにして人生は、そんなに多数ではないけれどまったく皆無ではない忘れがたい思い出を刻んでいくのだろう。人生はそんなに短くはない。


ルーマニアにて