東京永久観光

【2019 輪廻転生】

★「ハイレッド・センター」直接行動の軌跡/松濤美術館

そもそも美術は物質と観念との横断にこそ面白みがあるのだろうが、やっぱり近ごろはネットのせいで物質のほうの重みは減ってしまっているのだ。そのアンバランスがさほどではなかった時代の作品を回想することで、そのアンバランスがありありと感じられた。

たとえば、ビットコインはものすごく刺激的だが、そもそも千円札紙幣そのものがものすごく刺激的なものだったのだ。

もちろん、ハイレッド・センターの作品は物質そのものかというと、まったく違う。その行為は物質そのものを見つめていたのかというと、それもまったく違う。むしろメディアを作り出しメディアを見つめていたと言っていいだろう。しかし、銀座の街角や電車の車内というメディアや、活版印刷というメディアは、20世紀中期と現在とでは、その位置や重みは大きく移り変わってしまった。そのことに気づかされたのだ。今の私たちには、メディアはあまりにも多様であり、街角や電車がかつて持っていたメディアとしての決定感や実在感は失われつつあるだろう。

さらに面白いこと。ビルの屋上から物を落としたパフォーマンスが有名だが、その行為を直接目撃した人はごく少数だろう。われわれはそれを写真の記録を通してのみ鑑賞してきた。私自身もずっとそうだった。だからもはや、ビルから落下するトランクを写したあの写真自体が作品であるかのように錯覚してしまう。そして、久々にあのプリント写真にこうして美術館で対面すると、つい「ああ本物だ」と感激してしまう。デジカメ生活の蔓延により、今やプリント写真にはアウラがあるのだ(写真の誕生こそがアウラの喪失であったはずなのに!)

しかし私たちは、物質や街角の影響を今も大きく受けないではいられないし、その威力を忘れていることを時々は自覚すべきだし、時々はその関係を回復すべきでもあるだろう。

たとえば、街角に貼ってあったチラシ1枚の力を。路のウィンドウからたまたま覗いていた1つのオブジェの力を。


ハイレッド・センター高松次郎赤瀬川原平中西夏之の3名によるグループ
http://www.shoto-museum.jp/05_exhibition/