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【2019 輪廻転生】

『一九七二』に触発されて


阪神淡路大地震の1995年は地下鉄サリン事件の年でもあった。以後、私たちはこの2つの出来事を繰り返し回想し、日本社会の曲がり角として位置づけてもきた。そのため、20年近く経過したが1995年という年の名はいつまでも記憶に鮮やかだ。2011年と同じように。

(ちなみに世界全体にとって重要な年というなら、やはり1989年や2001年だろう)


さてしかし、個人史的に特別な年というのも当然ある。

かつて坪内祐三は1972年がひとつの分水嶺だと気がついた。その書『一九七二』を、たまたま読んでいる。asin:4163596801 asin:4167679795


1972年といえば連合赤軍事件だ。坪内は当事者が残した複数の記録を紹介しつつ、ゆっくりと何がしかの理解を得ようとしているようだ。私としてはしかし、映画『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』のショッキングなストーリーがまず蘇ってしまった。asin:B001MSXHN6

あの映画では、仲間の総括によって自分の拳で自分の顔を殴らされる遠山美枝子という女性が妙に印象に残った。坂井真紀が演じている。それまで連合赤軍事件をめぐる固有名ではせいぜい「森恒夫」と「永田洋子」くらいしか知らなかったのが、この映画によって「遠山美枝子」という名も忘れがたいものになった。

坪内の大きな関心も1つは遠山美枝子をめぐっているが、もう1人植垣康博という人物もクローズアップされてくる。たしかに見覚えのある名だが映画での記憶はほとんどない。そこでネット検索してみると、すでに服役を終えた人だとわかり、歳月の経過を改めて思い知らされたのだが、なんとその本人の現在の映像がYoutubeにいくつか上がっており、へえそんな映像があるんだと感心し、さらには、その本人の様子が事件の悲愴にして残忍なイメージとは一見まったく無縁に感じられ、もう一つ別の驚愕を覚えてしまった。

https://www.youtube.com/watch?v=fBusjiyrX78(テレビのドキュメンタリー)

https://www.youtube.com/watch?v=qDwChPGjjJY(こっちのプライベートっぽい映像が、いっそう興味深い)


さてこの連合赤軍事件は、しばしば地下鉄サリン事件と並べて評される。同書はオウムについてはちらりとしか触れないが、坪内は両者ははっきり質が異なると書いている。

《…彼(彼女)らの越えたその「ある境界」は、オウムの人びとのそれとは違って、必ずしも異常のひと言では否定出来ないリアリティーを持っている。だからこそ(言葉のレトリックのように見えてしまうが)、事件の異常性が際立つ。つまり、「総括」という名のもとに行われた連合赤軍事件のリンチ殺人事件は、異常ではあっても狂気ではない。高度成長の後期の時代の奇妙な解放感とその裏返しの閉塞感の中で、革命を目指した若者たちが、その反市民性によって、闇へ闇へと追いやられ、最後には山奥のアジトへと引き籠り、その密室の中で、誰もが持っている小さなエゴがぶつかり合い、そのエゴは、一番権力を持つエゴによって止揚を求められ、「総括」されていったのだ。》

連合赤軍事件は異常、オウム事件は狂気。――坪内はどちらかというとオウムの人より連合赤軍の人のほうに共感を見つけようとしているのだと、私には感じられた。サヨク嫌いを自称するわりには、ちょっと不思議な気がした。

私も坪内と似た受け止め方をしてきたが、最近はさほどそうでもない。

http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20120708/p1


なお、地下鉄サリン事件後のテレビ番組も、いくつかYoutubeにある。たとえば以下。

http://www.youtube.com/watch?v=T97-lxlH2sc

あまりちゃんと見ていないが、切通理作が出ている。最近テレビでは見なくなったが、この人の発言にはいつも控えめさや誠実さを感じ好感を持っていた。

その発言によれば、オウム信者はこのように言っているという。「一般の人たちは僕みたいな生と死ということに対して敏感じゃない」「この社会自体があと数年後終わってしまうというふうに物語を提示すれば」「生と死を身近に感じるんじゃないか」。その点を切通理作は批判している。


今年はオウム真理教の裁判も再開された。久々にちゃんと、あるいは、初めてちゃんと、考える良い機会かも(結論)


 *


同書で坪内は奥崎謙三にも言及し、左翼や右翼を超えた存在である可能性を指摘しているのが、興味深い。

連合赤軍をまとめた森の建軍思想の根幹に「きわめて日本的、右翼的な思想があった」ことは『兵士たちの連合赤軍』の植垣康博をはじめとして多くの連合赤軍の兵士たちが証言しているが、そういう「日本的、右翼的な思想」を脱構築してしまう奥崎謙三のような不思議なパワーとエネルギーを持った人物が、もし連合赤軍にいたなら、事態は、どう変わっていただろう。
 天皇に対する心の持ち方も、奥崎謙三は、当時の多くの日本の青年たちと、それを異にしていた》

天皇天皇的なものが多く存在する、ピラミッド型の構造の現在の社会では、歪んだ土台の上に真っ直ぐ柱が建てられないように、唯の一人も人間らしく生きることはできません」(『ヤマザキ天皇を撃て!』)