東京永久観光

【2019 輪廻転生】

中国も日本も愛さず憎まず無罪無味無臭


君たち(中国の人)は、日本の人や日本の会社以外に、もっとたたきのめしたい中国の人や中国の会社が本当はあるんじゃないか? 私は、中国の人や中国の会社以外に、もっとたたきのめしたい日本の人や日本の会社が本当はあるよ!

他国より自国を愛する右の人はナショナリストかもしれないが、他国より自国を憎む左の人も同じくナショナリストかもしれない。私自身は右でもあり左でもあるとつくづく思う。無差別級のナショナリスト。(国という単位に対する疑念は私も同じくらいあるつもりなのですが、私個人としては、国という単位における好き嫌いの実在をまず認めないと、疑念を本当には晴らすことができないと感じるのです)

人への愛憎と国への愛憎はどちらもけっこう観念的であるところは似ている。しかし、人に対しては物理的な関係を持ったり絶ったりすることがしばしばあるので、そのたびに観念的な愛憎など吹っ飛んだり入れ替わったりしてしまうことが多い。そこが異なる。

国とは観念であって、人のような手頃なサイズにまとまった実体を欠いている。だから厄介なのではないか。

もしかしたら、国への愛憎が観念では飽きたらないから、店を壊したり旗を燃やしたり兵を殺したりするのか? 

しかし、店を壊してみて、旗を燃やしてみて、兵を殺してみて、やっとすっきりすると同時に、愛憎の観念もまた「好きとか嫌いとか、いったい何だったんだろう、すごい錯覚だったかも、まあもうどうでもいいや」となるのかもしれない。

人はそのようにしてであれば、人と結婚したり離婚したりするように、国と結婚したり離婚したりもできる。そのようにしてでなければ、観念でしかない国と物理的に結婚したり離婚したりはできない。というわけで、国と物理的に関わるなら、せいぜい旗を燃やすくらいにして、どうか人は殺さないよう!


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ところで、尖閣をめぐる争いはゲームだろう。ルールの枠内で行われる。しかしこのゲームはルールを少しずつ無視し少しずつ変えていくゲームであるらしいところが興味深い。しかしまた、その「ルールを無視し変えること」自体にも一定のメタルールがあるようだ。でもそのメタルールもまた少しずつ無視…(9.14)