3月11日。東京も揺れは激しかった。棚から物が落ち、たんすが倒れかけ、食器棚の皿が飛び出して割れた。
今になって打ち明けるが、14日深夜、私たちはレンタカーを借り、西へ向かった。
こんなクライシス、生涯に二度はないだろう。逃走などという体験をするなら、それも今がチャンスだ。そう考えた。自分がなにか行為してみることで、この災害も初めて自分の事実になる。そうも考えた。
仕事があったので、どこかで1、2泊して戻ってくるしかないとは思っていた。ただ、ありえないほどの地震や津波が起こったのだから、ありえないほどの原発事故が起こらないとはかぎらない。そのときは… もう東に戻らないこともあるだろうか… そんなこともうっすら考えていた。
そうしてたどりついた静岡県三島市のビジネスホテル。泊まった15日の夜、静岡東部は震度6強の揺れに襲われた!(後日、東浩紀さんがまったく同じような目にあったと知り、他人とは思えなかった)
この日に私は東京を離れるべきだったか、離れるべきではなかったか、それはよくわからない。これから私は原発を避けて生きていくべきか、そうではないか、それもよくわからない。しかし、あの日に私が東京を離れたか離れなかったかは、はっきりしている。そして、私がこれから原発を避けて生きていくかそうしないかも、これからはっきりしていく。
幸いにも私は今のところ大丈夫だ。来年も大丈夫だといい。みんなが大丈夫だともっといい。
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オウム真理教の平田信容疑者らしき人物が丸ノ内署に出頭してきたのは12月31日。しかも23時50分くらいだったそうだ。私と同じ国の人だなと思った。
「事件から時間がたったので一区切りつけたかった」という。大みそかにはたいてい誰もがそういう気になる。
そうしてすべてを水に流して、新しい気持ちで生きていきたい。(が、仕事が残って年を越すこともある)
大みそかは死ぬことの予行練習。大みそかに仕事が残っているような者は、死ぬときにもいろいろ残って区切りがつけられないのではないか。