自分のツイッターのログが、自分のライフログ(人生すべての記録)になるのだとして。そのとき、ライフログとは、自分がしみじみ読み返す日記のようなものではなく、グーグル的なコンピュータが「はいあなたの人生は要するにこれね」と診断を下すためのデータにならざるを得ないのではないか。
なぜなら、ツイッターのログというのは、読み返すにはあまりにも細切れで、あまりにもノイズが多く、しかもあまりにも多量になるだろうから。
じゃあどうしたら?
ツイートを読み返すのは、自分ではなくコンピュータの役割なのだと、諦めること。そうでなければ、ツイートの回数を思い切り減らし、密度を思い切り上げる、というなんだか現況の正反対のことをしないといけない。
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さてでは、そもそもツイッターログのコンピュータ診断結果は、本当に自分なのか?
ライフログを人体にたとえれば、自覚症状が自分なのか、検診結果が自分なのか、その違いかもしれない。すでにグーグルやアマゾンが管理し提供してくる自分に関する情報を、自分と思えるか、そう思えないかの違い。
自覚症状と検診結果が一致すればとりあえずOKだろうが、一致しない場合、どちらが正しいと思うか。そもそも別物なので2つとも正しいと考えてもいいだろう。ただし、自分は2つでなく1つだけあると捉えるかぎり、どちらか1つは自分ではないことになる。