★Chim↑Pom---チンポム作品集
顰蹙表現のオンパレードとも言える。
たとえば「アイムボカン」という作品では、高級バッグをカンボジアの地雷で爆破する。
《2007年。セレブリティに強く共感するエリイの「ダイアナみたいに地雷原でチャリティーをしたい」という夢を実現するために、Chim↑Pomはカンボジアに向かった。
約1か月の滞在中、地雷被害児を養いながら自前で地雷撤去をする現地住民らの協力の下、エリイの私物である高級バッグや、セレブ・ポーズでかたどったエリイの石膏像など計7点を、爆破処理される地雷とともに爆破した。爆破物を日本で作品としてうった売上金のうち、Chim↑Pomの取り分全額を、現地住民に直接寄付するというプロジェクトだった》
顰蹙。「ヒロシマの空をピカっとさせる」もそうだった。顰蹙。岡本太郎の壁画に絵を追加したのもそうだった。
顰蹙っていったい何だろう。顰蹙は何故いけないと感じるのか。顰蹙は本当にいけないのか。など考える。
そんなことを考えていたときに、ちょうどNHKが「グリコ・森永事件」を振り返る番組を放送していた。あの当時、私は「かい人21面相」を名乗る者たちの言動に「面白いじゃないか!」という気持ちを禁じ得なかった。
ある種の芸術はそもそも疑似犯罪なのではないか。いや、もしかして、ある種の犯罪こそが疑似芸術なのか?
ともあれ、掲載されているチムポムの表現はすべてめっぽう面白い。
…ただ、なんというか、心がカサカサしてくるのも事実だ。良識が不意打ちを食らって転倒し怪我まで負ってしまう、というかんじ。
たとえば赤瀬川原平の表現なら、同じくらいめっぽう面白く、同じように意表を突くところもあったが、それでいていつも心に大いなる潤いをもたらしてきた。
追記:ただし、「面白い」うえに「顰蹙」など感じさせない表現に比べ、「面白い」うえに「顰蹙」まで感じさせる表現のほうが、「より強い表現」であるとも言えるだろう。それを「より上等な表現」とみるのか、「より下等な表現」とみるのかは、人それぞれであるにせよ。