「あ、これはまちがいなく面白い」
年1回くらいしかないが、
ふらっと入った本屋でそんなふうにピンとくると、
それは当たる。
★黒沢清、21世紀の映画を語る
「映画とはこういうものだ!」という確信ではなく
「映画とはどういうものだ?」という不審の数々に
ことごとくうなずいてしまうのであった。
思わず手を差し出して
握手をさせてもらいたくなるのであった。
といっても、
私は黒沢清の作った映画が、いつもほとんどわからない。
(それなのに、というべきか
それだから、というべきか)
わからないから、いつもとても気になってしかたがない。
その一方で、
黒沢清が映画について語った文章のほうは
こうしてとても正確に共感できる気がするのは、
なにかヘンではないか?
いっそう
首をかしげないといけないのではないか?
あるいは、これはつまり
黒沢清にとっての「映画のわからなさ」の
核心に
私も少し触れることができた
ということなのだとしたら…
「映画を作るおもしろさ」や「映画をみるおもしろさ」の
核心もまた、そこにあるのだとしたら…
…それはきわめてすばらしい。
《思い切って言ってしまうと、何のことはなく、映画に映っていることは全部リアルなのです。これはちょっと考えれば当たり前だと気づくはずです。カメラとはそういう機械なのです。別に手持ちにしてカメラを振り回さなくても、監視カメラのように撮らなくても、小津のようにスタジオ撮影された画面でも、カメラは身も蓋もなく目の前のものを撮っている。それは、それそのもの、嫌になるくらいリアルなのですが、それを撮影していて、どうにも白々しく嘘っぽいのは何故か。だって当たり前だ。それは先日脚本で書いた通りだから。この感覚は、映画を撮ったことのない人にはわかりづらいかもしれませんが、一度でもカメラを回したことのある人は、おわかりではないでしょうか。俳優が目の前で予定通り台詞をしゃべっている。それがリアルにとらえられている。ということは、それはやはり俳優が台詞をしゃべっているように見えるわけです。俳優が言われた通りにこんな台詞をしゃべっている、ということがそのまま映ってしまっている。だからそれが嘘っぽいと感じるのは当たり前なわけです。それが映像というものなのです》(p.194)
《かつて二十年くらい前に、サンダンス・インスティテュートという、アメリカの一種の映画学校に参加したことがあって、そのとき僕の『カリスマ』の脚本を読んだアメリカの映画関係者が必ず口にしていたのが、主人公が何をしたいのかわからない、シーンごとの主人公の目的がわからない、ということでした。「このシーンでいったい彼は何がしたいのか?」と。僕は正直、そんなことを聞かれるとは思っていなかったので、どうにも答えに窮してしまうことが多々あって、「ああ、僕は本当に人間のことがわかっていないなあ」とそのときは反省したのですが、後で考えると、別に映画の全てのシーンで、主人公が何かしたがっていたり、わかりやすい目的に向かって一直線に進んでいたりする必要はないのではないか、と思い当たったのです。そういう映画が面白いことは知っていますが、そうでなくても面白い映画がたくさんある。もっと言うと、これこそが主人公の目的だと思っていたことが、ある瞬間急に違っていた、とか、本人も実は迷っていた、とか、あるいは最初ある感情に支配されていた人間が、途中でまったく違うものにすり替わっていて、主人公もどうも最初の状態を忘れて、すっかり違うことをしている。あるいは、ときには彼は何も考えずただぼんやりとしていて、周りの人が何かをしているけれど、彼には喜怒哀楽もさっぱりわからず、目的も何やら見失ってしまったようだ。そういうことこそが、人間描写という点で言えば、僕にとっては正しいと思えて仕方ないのです》(p.274)
【読書感想文のコツ】
「その本を読んであなたはどう思いましたか」なんてほんとうは書かなくてよいのです。「その本を読んで何をしましたか」を書きましょう。途中で読むのをやめたくなった? それでもよいでしょう。すいかの汁がこぼれて赤くなった? それでもよいでしょう。
→ 思わずヨドバシでビデオカメラを買い、撮影をしてしまいました。
→ 『ドレミファ娘の血は騒ぐ』のロケが行われたのは、昔の東京工業試験所という建物で、しかもそこに出来たのが東京オペラシティだと知り、見に行きました。
【反省】
・夏休みの宿題はお盆までにすませること。
・ふらっと本屋に入る回数だけでなく、実際に本を買う回数がもっと増えれば、ピンときた本が本当に面白かったとわかる回数も、年1回から年数回くらいには増えるのではないだろうか。
◎ 東京工業試験所 http://homepage1.nifty.com/masay/sikenjo/page1.htm
◎黒沢清『映画はおそろしい』感想 http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20090226/p1