今回いろいろ思うところはあったが、2つだけ。
(1) 冬冬役の子どもは、草野正宗(スピッツ)が子どものときあんな感じだったのでは? と思った。
(2) 冬冬と妹が祖父母の家から父の車で帰る日、妹は心を通わせた寒子を見つけて呼びかけるが、寒子はまったく気づかないようで振り向きもしないところが、なんだか切ないのだが、そのあと妹はそのことをすぐ忘れてしまったようにもみえるところが、またなんとも言えず心に残る。
(追記)この映画は、考えてみれば、一夏の間にけっこう大変な出来事がたてつづけに起こっている。強盗があったり、勘当があったり、列車に轢かれそうになったり、樹から落ちたり。
しかし冬冬は子どもであり、出来事の舞台となる町と家も夏休みだけの旅先にすぎないこともあって、そうした出来事はみな、ただ眺めているうちに過ぎていくばかりのものになる。
私が小学生のころも、考えてみれば、けっこういろんな出来事があった。同級生が川で水死したり(小学1年のとき)。近所の人が電柱に上って電線に触れて落ちて死んだり。2つ上の近所の子どもが高熱を出して死んでしまったり。近所のお姉さんが結婚していないのに子どもができたとかいう話が伝わってきたり(そのころまだ子どもがどうやってできるのか知らなかった)。いずれも子どもなりに衝撃は大きかったのだが、しかし子どもなのでまだ社会や人間の営みの詳細の実感には乏しく、そうした大きな出来事も漠然と眺めているだけで通り過ぎていった。そんな感じがある。そうした子どものときのぼんやりした衝撃を『冬冬の夏休み』は甦らせる。
★風櫃の少年/侯孝賢(1983)
前に同じくビデオで一度見たきり。さほど有名作ではないが ずっと忘れがたいものがあり、今回みてやっぱりとても良かった。
話の展開が行き当たりばったりのような感じがするのが、同じく先の見通しの立たない青春の日々の生き写しのようでもあり、そういうところが良いのだろうか?
ホウ・シャオシェンは家の中を撮るのが好きなのだなと思う。狭いが複雑そうな造りの家への出入りを撮るのが好きというか。
『風櫃の少年』は、数人が入り乱れて何かしている、時には乱闘などもしている、そんなシーンがいくつかある。ホウ・シャオシェンはそういうバタバタした場面が得意なんじゃなかろうか。
◎ナイスなレビュー → http://d.hatena.ne.jp/Ryo-ta/20071226/p1
――昔みた好きな映画を繰り返しみるのがいちばんいいのではないか。ということを最近いっそう強く思う。というわけで、ホウシャオシェンの懐かしのビデオ(!)2本を借りてきた次第。
――映画をみて他人の感想を知りたいとき、「CinemaScape 映画批評空間」というサイトをけっこう参考にしているが、ホウ・シャオシェンの映画では『風櫃〈フンクイ〉の少年』が意外にも高得点で、そういうこともあった。
★クーリンチェ少年殺人事件/楊徳昌 エドワード・ヤン(1991)
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4時間くらいあって非常に長いが、面白かった。…いや、軽く「面白かった」とだけ書くことははばかられる。だからこそなかなか感想をつぶやけないでいた。そういうことはよくある。そのせいで、軽く「面白かった」とだけつぶやける映画の情報ばかりが、世界を覆っていく(のかも)
エドワード・ヤンの映画は劇場でみたことがなく、最近やっとDVDで『ヤンヤン 夏の想い出』と『エドワード・ヤンの恋愛時代』を見たくらいで、それはどちらもとてもよかったのだが、この『クーリンチェ』はしかし、明らかに破格の映画だというかんじがありありとする。
ホウ・シャオシェンの映画を繰り返し見て繰り返し考えるつもりであるのとまったく同じく、この1作も何度も見て何度もいろいろ考えたり書き留めたりすることになるだろう。
ということでまず一言だけにしておくが、台湾という不思議な国(?)の不思議な歴史が、そもそも得も言われぬ興味を誘う。それは日本の20世紀の歴史そのものといってもよい。もちろん中国の20世紀の歴史そのものでもある。満州は幻のごとく消え去ったが、台湾は21世紀になっても奇妙な形式のまま存在し、それどころか大いに繁栄し、あまつさえ日本贔屓ですらあるということが、考えれば考えるほど、面白い。そのくせ私はまだ台湾に一度も行ったことがないというのは、やっぱりなんか間違っていると感じられる。
しかし間違っているといえば、クーリンチェ少年殺人事件は権利関係がスムーズでないらしく今なおDVDになっていないことこそ、間違っている! 仕方なくこうしてビデオをみるしかない。ロングショットが多く暗いシーンも多いから、人物の顔はなおさらわからない。話の筋の説明も親切でない。「これいったい誰?」ということがとても多い。
四方田犬彦の『電影風雲』という分厚い本を、久しぶりに借りてきた。(この映画にも言及している)
★トイレット/荻上直子
もたいまさこに負けず劣らず、孫たちのキャラクターもそれぞれ強烈で憎めない。
ただ、同監督の『かもめ食堂』や『プール』はとくにオチのない終わり方だったため、様々な出来事の意味合いを考えさせて余韻が残ったのに対し、トイレットはちょいと面白くまとまって終わるので、なんだか余韻がないとは思った。
★マザーウォーター/松本佳奈
監督は違うが、かもめ食堂、めがね、プール、トイレットと同じ路線の一作。
小林聡美、小泉今日子、市川実日子とそろって、ちょっと前のドラマ『すいか』みたいな雰囲気。
ナチュラルに無理せず生きている、といった人たちばかりが出てくる。それぞれ喫茶店、カウンターバー、豆腐やなどやっている。雑誌の『ku:nel』のようなテイスト。
もたいまさこが、なんとなく正体不明のお婆さんの役で出てくる。トイレットと同じ。この人は1952年生まれなのだが、お婆さんイメージが定着したところがある。笠智集が若いときからお爺さん役をしていたのと似ているか。
全体として、町の中を川が流れるとても心地よい光景のなかで、登場人物たちの珠玉のような抽象的な会話が啓示のように伝わってくることになる。どうして抽象的になるのかというと、たとえば『すいか』と比べると具体的な事件が起こっていないからではないか。
『かもめ食堂』からずっと、どの作品も似たようなテイストで、いずれも気持ちよく鑑賞させてもらえ、とても好ましい気持ちにはなるのだが、なんだか「調子が良すぎて」どうなんだろうという気にもなる。
「無理せずナチュラルな暮らし」というけど、それを支えているのは原発の電気だよ、とか金融日記なら書きそうな気がする。
あるいは、映画の主役というべき町並みや家屋は、川の流れと花や木々に彩られとても豊かでとても静かで実にのびのびした日々を与えてくれるのだが、今の日本は、そんなに豊かではなく貧しく、そんなに静かでなく喧しく、のびのびするよりはせかせかせざるをえない、そして木や花をみる余裕もない人々の群れによって成り立っているのではないか、という気もする。
★鳥/ヒッチコック
これも実に久しぶりにみた。仕事が大変なので、それを忘れるために別のことに没頭したいけれど、同じく仕事で疲れ果てているので新たに何かに没頭するほどの余裕はない。そんな時はすでに知っている名作に没頭する一時がよい。そんな動機。
やはり『鳥』は、登場人物たちがそれぞれに人間的ないきさつやストレスを抱えつつストーリーが進んでいくのとはまったく関係ないところで鳥が襲撃してくる、というのがとにかく面白いのだろう。
★告白/中島哲也
『告白』は中島監督らしい際立った才能による映像をみせられたと思ったのだが、私の古い感覚ではこういうものは「ああ映画だなあ」とは感じないのだということも、いよいよはっきりしてしまう。そしてそのあとすぐ『悪人』をみて、「そうそうこれが映画なんだよなあ」と思う。
それが何なのか、全体としてはわからないが、一つは「そこに映っている人がいつどの町に住んでいるのか」がはっきりしているかどうかが、けっこう重要なのではないか。
たとえば、『告白』の木村佳乃がいる台所が「どこにこんな台所や食器の家があるか」と思ってしまうきれいさであるのに対し、妻夫木が樹木希林と住んでいる家はとてもリアルに雑然としている、というのがけっこう重要な問題なのかもしれない。
それはそれとして、妻夫木聡もよかったが深津絵理がそれに増して良かった。どうよかったかというと、東京ではなく地方の都市にずっと平凡に住んで、何かしたいけど何もできない、そんなリアルさを本当に感じさせたところ。出会い系サイトというのも、実際こんなふうな人がこんなふうに利用しているのだろうか。
原作の吉田修一の小説は昔少し読んだが、妻夫木演じた男のような非インテリ肉体労働系の若者を主人公にしていた作品もあったのを思い出す。この映画では長崎と佐賀と福岡を行き来するのも面白い。たぶん東京と千葉と埼玉の関係とはちょっとちがう。東京は大都市でありすぎるし、千葉と埼玉は東京に近すぎる。福井と金沢と富山の関係みたいなものだろう。そこがリアルに思われた。『告白』の学校は、べつにどこの都市であってもよく、むしろどこでもない学校が舞台だったのだろう。しかし、人は、東京にせよ福井にせよ福島にせよ福岡にせよ、どこでもない中学には行けない。どこかの中学にしか行けない。
=ネタバレ注意!= 『悪人』で、最後に妻夫木が深津絵理の首を絞めたのはなぜか。原作を読むとわかるらしい。小説なので言語の理屈で説明しているということだろうか。
映画をみるかぎり、そうした説明は伝わってこないように思う。ただ、なんというか、映画の生理的な展開としては、あそこで何か起こらないと映画が終わらないというところはあると思った。
参考になったレビュー2つ紹介
・http://www.k2.dion.ne.jp/~yamasita/cinemaindex/2010acinemaindex.html#anchor002078
・http://d.hatena.ne.jp/xiaogang/20100912#p3
★ヒート/マイケル・マン(1995)
これもツタヤの名作発掘的なコーナーから。ロバート・デ・ニーロとアル・パチーノが共演というふれこみ。これは初めて見た。デ・ニーロは孤独で静かなところが好印象だったが、アル・パチーノは「オヤジくささ」が出ていて良くなかった。
人物たちの人生の変転がさまざまに絡んでいくドラマか。と思うとそうでもない。オフィス街の銃撃戦がやけに長くうるさいと思ったが、あそここそ最大のウリだったようだ。『ワイルド・バンチ』と並び称されるというので、なるほどそうかと思った。
★L.A.コンフィデンシャル/カーティス・ハンソン
これは初めてみたが面白かった! お薦め!!
★ライブテープ/松江哲明
http://www.spopro.net/livetape/
これは同映画の撮影地である吉祥寺のバウスシアターにて鑑賞(DVDは出ていない)
よいドキュメンタリーというのは、なんというか、その1作によって新しいジャンル自体が作られている、とでもいうような驚きをもたらしてくれる。これもまさにそうした新鮮さがあった。またいずれ。
★パピヨン → http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20110428/p1
★FLOWERS ★乱れ雲/成瀬巳喜男
→ http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20110415/p1
――ブログをあまり書かなくなったが、こうした記録は一言でもいいから残しておきたい。ただ、今年は去年ほどDVD映画をみていないようだ。
――DVDの商品ナンバーを記している(かつジャケットが表示されるようにしている)。クリックすれば、はてなダイアリーで同じ映画に触れた人の感想を一覧でき、共感・洞察、そうしたものを探すことができる。それはとてもよいとずっと思っている(アマゾンで買う利便のためではない) しかしDVDがやがてブルーレイに変わっていけば、このナンバーも永遠ではないのだろう。そもそもDVDにしても新たな商品がリリースされれば商品ナンバーも変わる。つまり、保証されるのは作品の同一性ではなく商品の同一性にすぎないのだ。それと、上記の『鳥』から導かれるアマゾンのページには、なぜかまぎらわしい別の商品説明が出てくるという不可解さ。……ふと、ボルヘスの『伝奇集』にある「トレーン、ウクバール、オルビス・テルティウス」を思い出した(これだけ書いても何のことかうまく伝えられないが)
↑ 映画DVD鑑賞記録 2010年(5)http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20101229/p1
↓ 映画DVD鑑賞記録 2011年(2)http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20110723/p1