まるで今にも世界が終わるかのような悲嘆。これじゃ本当に世界が終わるときはどうするのだ。
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――では、本当に世界が終わる話――
野の花診療所の徳永さん。こういう場所や人がたくさんあるといい。
爆笑学問 http://www.nhk.or.jp/bakumon/previous/20110519.html
それにしても、死ぬ人は死を乗り越えることが本当にできるのだろうか。乗り越える、乗り越えないより先に、死が自分を乗り越えてしまうだけなのではないか。
われわれは悪や死を理解しないうちに体験せざるをえない、みたいなことを、カズオ・イシグロがきのう(おととい)のNHK番組で言っていた。
http://www.nhk.or.jp/etv21c/file/2011/0417.html(これも再放送)
イシグロ「大人になる過程は興味深いものです。我々は理解できないまま、良からぬ現実を知るものです。私たちは“死”を理解する前に死を知ることになりますよね。“悪”も同じです」
http://themusicplant.blogspot.com/2011/04/etv.html
本当にそうだと深くうなずく。私たちは仕事を理解しないまま仕事をせざるをえないし、人を理解しないまま人とつきあわざるをえない。そして死を理解したいと強く願いながらも、おそらく理解できないまま、死はやってくるのだろう。
児玉清さんも長門裕之さんも田中好子さんも、死を理解し納得して死んだわけではないのだと思う(そうでもないのか?)
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くるり「ばらの花」 聞き逃していたが、いい歌。
http://www.youtube.com/watch?v=e-Biq3Bj-s4
「安心な僕らは旅に出ようぜ!」 え〜とそれって、どういう… 意味など尋ねるのは野暮だと思いつつ、気になってグーグル検索。
ヤフー!って素晴らしい!! ちゃんと答えてくれる!
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1225602967
《僕らおたがい 弱虫すぎて 踏み込めないまま 朝を迎える》
http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=66019
いくら年をとっても、若いころの思いをぴたりと表現したような歌が琴線に触れるということはある。一度は通り過ぎたことがあるのだから、しかたない。
しかしそれと反対に、年をとることの思いというのは、若いときにはやっぱりわからないのだと思う。そうした歌というのもあまり作られず売れないのではないか。(若いミュージシャンが、年老いた人を描写したり、想像したりという歌はあると思うが)