トマス・ピンチョン『逆光』。読むのが楽しいと、やっと正直に思えるようになってきた。上巻の半ばまできて、重要な人物が1人殺されたあたり。
この小説は、まったく知らない出来事や人物や関係についての説明が詳しすぎ、複雑すぎて、相当がんばらないとついていけないから、だんだん読むのが億劫になるわけだが、
そうした詳しく複雑なものごとも、繰り返し繰り返し読むことで、どうにかこうにか、ひとつながりの状況となって頭のなかに定着してくるのだろう。
これは、新しい街に住み始めるとか、新学期の新しいクラスに慣れるとか、新しい職種を覚えるとか、そういうことの実地体験に近いのかもしれない。
というか…。もっといいたとえはないだろうか…。
春には菜の花が咲くとか、夏には蝉が鳴くとか、あるいは、富士山は3776mだとか、鎌倉時代のあとは室町時代なのだとか、そうした知識は長い生活のなかで身につき、それは自ずとひとつながりの知識として頭のなかにいつのまにか定着している。
なにかそんなふうな大がかりな変容に似たことが起こっているのだろうか。
よくわからないので、この話は終わり。