音楽とは何だ、といわれても、そう簡単には説明できない。でも我々は音楽をめぐってきわめてスムーズにコミュニケーションができる。それは、曲という3分くらいで聞ける不変の単位があり、昔はディスクとして出回っていたし、それどころか今では、即座に現物を指し示して再生できる。そのおかげ。
たとえば、経済って何とか、脳って何だろうとか、言語って何だろうとか、毎日のように思うのだが、しかし、その「原論」や「各論」に当たるようなものを、3分くらいで再生できるようにまとまったものが無数に流通、したりはまったくしていない。
音楽という世界の豊かさに触れると、ただちに3分くらいのまとまりを作って、自分で演じたり、他人に演じて見せたりするのが、楽しいように、知識や技術についても、そういうことは楽しいに違いないと思うのだが。
ライフハックということなら、そういうものは毎日毎日、目白押しだなあ。
料理のレシピなんかもそんなような流通をしている。
しかし考えてみれば、知識というのは、昔から本を1単位として流通し、蓄積されてきた、というのが実際のところだから、それはそれでいいのか。
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メールで「はい」の代わりに「うい」と打ち込む人がいるそうだ。キーボードがそのほうが打ちやすいからではないかという。携帯で片手でもできるとか。なるほど。
挨拶文が1文字でも短ければ、その言語を使う人々全体が省エネできる総量は、ものすごいものになるのではないか。「ども」とか。英語だと「Hi」か。「〜のではないか」も長いので「なんじゃ」となる。?
ズドラーストヴィーチェ。これはロシア語だが、なんとかならないか。略式をすでに使ってるのだろうか、ロシア人。
名前をフルネームで手書きする時には、林一さんとか、楽でいい。
中国より台湾のほうが漢字が複雑なので、ボールペンのインクも減りは早いのだろうか。
選挙で読みにくい漢字は覚えてもらえないし、書きにくい漢字は投票するのを躊躇するということはないだろうか。
文芸評論家の「すが秀実」のことを書こうとして、漢字が出ないからやめた、という人はけっこう多いのではないか。内田百間も昔は間の文字が出なかったはず。いつから出るようになったのか。