そろそろ2010年8月15日だ。高橋さんの路上つぶやきでも聞くとしよう。
http://twilog.org/takagengen/date-100815
(以下はこれと同時進行で私がつぶやいたこと)
日航機が落ちて25年。私の母が死んだのも実は25年前。早いものだ。戦争が終わって65年というのも、べつにそれほど昔という感覚ではないのかもしれない。
戦後何年というより、あなたは生後何年ですか? 生後20年? 40 年? 60年? その落差は寿命との相対関係だ。だから、20年生きたか40年生きたかの違いが世界観に及ぼす影響は、ただの数字の差を超えて極めて大きなものであることを、あなたもいつか実感するだろう。
だから(という接続詞はおかしいかもしれないが)、戦争の責任について国が国に謝罪するかどうかという話について、私は個人として強い当事者意識をもてない。私が誰かを傷つけたとか、誰かに傷つけられたとか、空襲で身内が死んだとか、空襲でなくても母が死んだとか、そうしたことをめぐってであれば個人的な正義や後悔の念が痛烈に立ち上がってくるのに比べて。
いわゆる戦争責任について興味がないわけでは、まったくない。私は日本に生まれたし親も日本に生まれたようなので、自分は日本人だと思っている。しかし、そのことと、高橋源一郎がいう「国とその過去に対する本当の誇り」というのとは、同じことではない気がするのだ。
敗戦後論(加藤典洋)が出てきたか。1997年くらいだった。あの本は本当に共感するところが大きかった。
私が母の死を忘れないことは単なる事実だが、私が母国の戦争責任のことを忘れないのもまた単なる事実だということは、言っておきたい。どちらにも根拠はあるということ。しかし、その2つの根拠は全く別ではないにしても、明らかに同一ではないということ。だから、別のこととして熟考させてほしい。
しかし、したがって、これから語られる(つぶやかれる)「正義」の話は、私の身の丈の歴史に現れる「正しさ」とは別の話なのだということは、納得できる。さて次はどうなるだろう?
え、「強者の論理」? そうなのか・・・
大阪で終戦日の前日(14日)に空襲があって500人も死んだというのは、知らなかったなあ。それにしても。
私にとってあの戦争とは、なによりまず父母と祖父母の世代が旧盆に集まって語りあう昔話だった。
その中に大阪から来るお爺さんがいた(私の祖父の弟に当たる)。関西弁で話し好き。あのお爺さんは、あの空襲の時近くにいたのだろうか。
私の家は福井市の村部にあった。私が生まれる前、福井市内は空襲で焼け野原になったが、私の家のあたりは無事だった。
中国の人や韓国の人の一部は、いつまでもいつまでも日本を許さないと思っているようだけど、それはまったく当たり前の話で、それにひきかえ、日本では空襲で身内が死んだりした人たちが、なんでそういう「許さないぞ」ということを、もっともっともっと言わないのか。いつも不思議ではある。
戦争もまた、侵略国と被侵略国という区分あるいは戦勝国と敗戦国という区分より、そのときたとえば貧乏人だったか金持ちだったかなどが、けっこう大きな何かを分けるのではないかと、私は時々考える。つまり、謝らなければならないのは、ひとえに金持ちだけなのではないかと。
(このことは以前も書いた。http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20050603/p1)
旋律を異にするタイムラインを勝手に一緒に流すというのは、けっこう面白い。この世界や言語は必ずなにがしかつながりを持っているので、どこかで和音が図らずも生じる。
サンデルの立場は「リバタリアン」でもなく「リベラリスト」でもなく「コミュニタリアン」なのだと聞いたが、そういうことか。
でも、戦前の日本人は、みんなウルトラ級のコミュニタリアンだったのではないか。
「暴風のような愛情」と「強烈で圧倒的な責務」(高橋源一郎のツイートにあったフレーズ)。
しかし、玉砕していく日本人兵士たちも、空襲で逃げまどう日本人たちも、それくらい強烈ななにかを感じていたにちがいない。家族同士の愛憎と同じくらい激しい愛憎が国と人の間に実在してしまうのが、戦時中なのだと思う。もちろんそれは「社会が狂っている」ということに他ならないのだが。
ここで多いに参考になるのは、「二合五勺に関する愛国的考察」(坂口安吾)http://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/42920_23108.html
《私はたゞ、ぐうたらな怠けもので飲んだくれで、同胞の屍体の景観すらも酒の肴にしかねない一存在でしかなかった。その私すら、しかし、歴史的に異常にして壮烈な愛国者として復活しうるという、歴史のカラクリと幻術を、私は今、私自身について信じることができる》
「共同体の「上」のレベルとは国家だ。では、国家においては、どんな原理が「正義」といえるのだろうか」(高橋源一郎) コンポンテキな問いだ。さてさて・・・
私の本当の問いはこういうことかな。「おまえはがんで死ぬほうがいいか、戦争で死ぬほうがいいか」
あるいは、「どうせ死んでしまうことについて気持ちを整理できないのに、がんで死ぬことの是非や戦争で死ぬことの是非を整理できたとして、それが何かうれしいか」
いや、そういう気持ちの整理を強制的にさせられてしまうのが、「家族だ」と高橋源一郎は言い、「戦争だ」と坂口安吾は言っているのだ。
家族愛は正当で、国家愛は不当、といったようなことが(高橋さんは)言いたいのではないと思うが、どうなんだろう。
なるほど。「正義」とは何かをめぐって「正気」とは何か、だ。
高橋源一郎は、いかなる意味でも愛国心とは無縁だと感じてきたというが、本当だろうか。私は生まれてから一回も愛国心と無縁だと感じたことはないなあ。
ただ、愛し続けているうちに日本はもう昔の日本じゃなくなってしまったけど。巨人が昔の巨人じゃないように。
戦争が終わって65年は長くないと書いた。しかし、若い人にとってあの戦争は、私にとっての日清戦争・日露戦争あるいは西南戦争くらいに昔話なのかもしれない。そうした若い人のばあい、あの戦争にまつわるかぎりは愛国もなにももはやないだろう。
そうだ、愛国とは結局のところ、戦争という歴史が最大の根源なのだ!
近代という幸福。それは戦争に喜んで行くほど気が狂った幸福を含んだ幸福だったわけだが、それはそれとして、私の観察するところ、近代の幸福というものは終焉していく世紀に入っている。したがって、あのような戦争もなくなる可能性があり、同時に愛国もなくなる可能性がある。近代の国家なくして近代の愛国も、そりゃ無いだろう。
私は何が言いたいのだろう。
・戦争は困る。・25年は長いがすぐだった気がする。・65年は長いがそれも案外すぐだったのだろう。・身内の死こそ決定的な出来事だ(自分が死ぬのがまだ先であるかぎり)。
そして、国にとっては戦争こそ決定的な出来事だが、戦争がないことを平和と呼ぶのだから、それ以上よいことはない。
…が、歴史としては退屈だ。
歴史は繰り返す? そうでもないというのが最近の私の実感だ。世界恐慌や新型インフルエンザをけっきょく今世紀は繰り返さなかったではないか。だからもう、あのような戦争を繰り返すことがないとしても、それもそれほど不思議なことではない。というか、さすがにバカだろうそれは。
私の結論。ただ戦争さえしなければ、バカが群れをなして他のどんなバカをやろうが、それは許そう。というか、近代国家という観念が消失してきた21世紀は、みんなすでに少しそのようなバカになっている。バカは戦争なんかしない。コンビニとツタヤとネットで遊ぶ。(終)
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8月15日だというのに日付が変わるまで仕事した。「いったいきみは、日本の兵隊の玉砕精神を嗤うことができるのかね」