東京永久観光

【2019 輪廻転生】

相手に気を回すワールドカップで優勝


世界で最も使用頻度の低い単語(死語は除く)は「朕」だ、とかいうのを聞いたことがある。逆に最も使用頻度の高い単語は「忙しい」ではないだろうか。いや、「暑い」か。


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★DVD『チャイナタウン』を見た(ポランスキー)。見たことがなかったと思っていたが、ジャック・ニコルソンが鼻を切られるシーンで、ああ見たことあると思った。才人というかんじ。あのムーディーな音楽も、センスが良すぎではないかと、文句を言いたい気になるほど。


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前から思うが、私の場合、仕事で酷使するのは「頭」ではなく「心」のほうだ。

しかし、徹底して考え抜くより、徹底して気を回し抜くというのは、どうなのか? そのまったく逆というのも、人として、どうなのかと思うが。

なお、よく気を回すからといって、よく気がつくというわけでもないのが、困ったところ。

そうだ。私は、べつに、「心」の仕事が得意というわけではないことが、問題なのだ! 「頭」の仕事が得意ではないからといって、「心」の仕事が得意であるとはかぎらないということ。

「体」の仕事なら、まだしも、と言いたいところだが、それは本当に「体」を使って仕事している人に失礼だ。頭脳労働のくせに、「いや〜この仕事は体力勝負ですよ〜」なんていうのは、自分が頭脳労働者であることを暗に自慢しているだけのことが多い。(ああつまらない話と、つまらない批判)

そうだ、いずれにせよ、ここでいう「頭」も「心」も「体」も、基本は脳だということは、現代なら常識的に思い返しておく必要はあるか。

イチローや松井みたいな「体」の真似なんかできるわけないのと同じように、優れた「頭」の持ち主の真似だって、凡人にはできない。「心」の達人というのもいるのだろう。あまり目立って世に出るということはないのかもしれないが。

というか、ピンポイントで「体」を競うことはよくある。スポーツなど。ピンポイントで「頭」を競うこともよくある。「心」の各種競技があったら、面白い。相手に気を回すワールドカップみたいな。金メダルなんかいらないけども。

100メートルを速く走るための体の使い方は、ほとんど単一だろう。100冊を速く読むための頭の使い方も、そんなに幅があることではない。そういう幅の狭さを軽蔑するか尊敬するかは、人それぞれとして。それに比べると、たとえば100人を不快にしないための方法は、もっといろいろではないか?