[第1夜]
最近、政治への関心はどんどん薄れているなと思う。というか、自民党も、民主党も本気で変革を望んでいないみたいなので、こっちも本気で応援する気にならない。数年前とはだいぶ気持ちが変わった。前は、選挙の時はあるていどマジに考えた。
その理由として1つ言えるのは、ネットでいろんな意見に触れるようになったことが大きい。
近ごろ、「極端に合理的なんだけど、極端さゆえに国民多数の理解や賛成は得られないだろうな」という発想が、インターネットのおかげですぐに普及する。しかも注目すべきは、同じくインターネットのおかげで、その合理的な極論に「賛成」と思っている人が「どうやら俺だけじゃなく、けっこうたくさんいるんじゃないか」と妙に力強く思えることがある。
その最たる例がベーシック・インカム政策だ。
朝まで生テレビ!そしてニコニコ動画で、ホリエモンや東浩紀が出てベーシック・インカムについて話した回などは、じつにそういうまさかという期待がふつふつと湧き上がってきた。
同じく、みごとな極論が多いけど、こちらのホリエモンと池田信夫の対談もまたじつに面白い。
◎http://news.livedoor.com/article/detail/4855013/
ホリエモン、池田信夫、東浩紀、それに、西村ひろゆきといった人たちは、ぐずぐずぐだぐだしている政府や政党のすべてを乗り越えて、バッサリあっさりものをいう。こうした図式は5年くらい前までは あまりなかったように思う。だから、日本も、ひょっとして、こうした人びとの発言から本当にガラガラと変わるのではないかと、今はマジで思っている。
経済政策なども、ネットの賢者(らしき人びと)と政党の考えとでは、ギャップがあまりに大きい課題なのかも、ということも最近つくづく思う。たとえば以下のエントリー。
◎http://agora-web.jp/archives/1051988.html
◎http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20100703/1278111261
それから、ここまでの人びととはまったく違ったあるいは正反対の立場だけど、同じくらい鋭い本音でいつも喝采したくなるのは、この赤木氏だ。◎http://twitter.com/T_akagi/
上にあげた人たちは新自由主義的、リバタリアン的だけど、赤木氏はいわば貧乏人の真の見方、左翼系の真の星なんじゃないかと思う。大半の左翼がズルすぎる、バカすぎるというのが、いよいよ実感されているという背景もあるけれど。
ともあれ、ここまでの人たちは、賛否はともかく、いずれも理路整然としていて明快なので、実にすがすがしい。それに比べ、各政党の主張なんて、ごまかしやぬるま湯ぶりしか伝わってこなくて、驚きも尊敬もまるきり出てこない。
みんなの党はネットの賢者たちには評判のような気がする。東京ではタリーズコーヒーの若い社長が候補者だ。このあいだ新宿で演説してた。妙にイケメン。
あと、憲法改正? その意味はつまり、自衛隊をちゃんと国軍にして海外の紛争地で思う存分 活躍してもらったり、あるいは、身勝手な中国などへの牽制もしよう、ということかな? それだったら真剣に考えてもいいね。
それでも普天間の問題は難しいと感じる。マジに関西空港に移したらどうなんだろう。いずれにしても、今回の騒動で一番強く思うことは、鳩山は、話をぶちこわした責任をとり、自らの全財産を沖縄に寄付し、そして自身は徳之島に一生住むべし、ということだ。
鳩山にはまったくむかついた。なんといっても、自らはまったく傷ついていないじゃないか。
鳩山が資産家でなければここまでは言わない。金持ちは貧乏人の10倍か100倍は苦労してこそせめてもの公平だと思うからだ。ましてや、政治家を志し首相にまでなったくせに。…まあでも、金持ちの趣味投資で民主党のオーナーをやっていただけ、というのが実際のところかな…
小沢一郎について。私は昔の嫌悪感とはだいぶ違っていて、彼が最後まで信じる自身の政策をやり遂げてくれたら日本には有益だったのではないか、とは思う。政治家は金が要るのだから、鳩山みたいなボンボンでないかぎり、少々汚い金でもつかまないといけないことは誰だって理解できるはずだ。その金が汚いかどうかより、その政治が良いかどうかしか、点検する必要はないと個人的には思っている。小沢の資金問題なんかに比べたら、たとえば、日本の省庁や官僚たちの、社会主義国かというほどの権力固定や、地方も含めた膨大な公務員たちが手を離そうとしない、税金による厚遇ぶりのほうが、よほどイビツでただちにぶちこわしたい問題だ。
なんで国民はそういうことをしっかり見ないで、つまらないマスコミの小沢たたきにばかり同調したのかとずっと思っていた。
ただ問題は、小沢には日本の行方を見据えた太い政策の柱は本当にあるのか、という疑問はある。たとえば、普天間の問題などは まったく発言しなかったしね。(鳩山の自爆をむしろ望んだのかもしれないが)
<2010.7.9>
[第2夜]
ホリエモンや弾小飼は「ベーシック・インカムを新自由主義を徹底化する手段として打ち出している」ところが独特だよね。
でも、たしかに、多数の国民からは理解も支持もされないだろうから、議論しても無駄かもね。
ただ、ひとつ思うこと。たしかにベーシック・インカムをマジに取り入れたら「世界はおかしくなってしまう」という心配はわかる。しかしそもそも、ある地域のある人びとにとっては「世界はもう十分におかしくなっている」。それなら世界は大手術(ベーシックインカム)をしたほうがいい、とは考えられないか。
世界は頑固に変わらないことも多いが(北朝鮮やキューバがまだあるとか)、10年前にはまさかと思ったことが実現している例も実際にある。たとえば僕にとっては、音楽をパソコンからダウンロードして買うとか、電気自動車が市場に普及するとか。なので、もしかしてもしかしたらベーシック・インカムも、そのうち実現してしまうのでは?
子供手当などは、よく言われるように部分的なベーシック・インカムだしね。
省庁の無駄役人や、今は不要になった産業の働き手には、わざわざ公共事業で金を回すくらいなら、「仕事しなくていいから」その代わり「金そのものをしっかり与える」というのがいいと思うんだよね。
<7月24日>
[秋の夜長]
日本がこれまで社会主義的国家運営だったというのは、たしかにそうなんだろうな。それが日本の場合は、中国やソ連とちがって、なぜか、本当にうまくいった。
だから、日本の政党で保守(昔のままでと考えている)なのは、じつに、社会党や共産党なのだと言われるのも正しいんだと思う。(特に小泉構造改革以降はそれが顕著)
そうすると、ここで聞きたいのは、今後、日本は、そうした社会主義的(福祉国家的、公共事業的)な国家運営を、小泉の方針のごとく「一掃」してしまったほうがいいのか、それとも逆に、抵抗勢力的の方針のごとく「復活」させたほうがいいのか、ということ。
そこは率直にどう思う?
これについては、経済の流れが(今回の世界的な金融危機で)がらっと様変わりしていることが大きく影響してしまうとは思う。――グローバルな自由経済から国家的な統制経済への逆戻りするようになるだろうと。
まあそんななかで、世界は、日本は、今後どうしたらいいんだろうね…
ぼくはあまり深く考えてはいないのだけれど、高齢者が増えて、国全体のリソース(財の蓄積というか)がどんどん減っていくときに、広く薄くみんなで負担していくというのはもう仕方ないとはもちろん思う。
だけどそれに加え、これまでイビツに得していた連中からはそのイビツな財を、今こそドンと奪えとも思う。それの第一は、金持ちの個人ではなく省庁や地方自治体の財政的な無駄金だろうと思われる。(このあたりの総論は、だれしも一致するところなんだろう)
ではとりわけ何が無駄かといったときに、いろいろ考えが分かれてくるんだろうか。ぼくは、土建業や農業にほどこす公共事業や補助金の支出がそれほど悪いとは思わない。(ただそれほど保護されていない多くの業種で薄給で過労死するほど働いている人が少なくないことのほうが、むしろ問題だとは思う)
そんななかで、たとえば、東京に住んでいることもあって、世の中には「よくわからない公益的な法人があまりにもあまりにも多いこと」に気づく。あらゆる分野にそれは行き渡っていて、たとえばちょっと何かをネットで調べたりすれば、きまって全然名前を知らないような団体や財団がうようよ出てくる。これらは、たぶん、ほとんど隠れ省庁というべきで、そこに役人が延々天下りし、税の補助を延々もらい続け、不要な事業を行い、不要な人件費支出を行っている、と思われる。(特殊法人などがそれの総本山ということになるのだろう) きっと、地方自治体もその小型版が山のようにあるのだろう。とにかく、そういうのを一掃してほしいと思う。
ただし、ここから正反対のことを言ってしまうことになるが、ぼくはやっぱり単純に「みんな、そんなギスギスせず、金を奪いあう競争などで一生を無駄にせず、みんな等しく貧乏でいいから、みんなもっと楽に生きようよ、仕事なんか今の半分にして、毎日だらだら生きられる社会を目指そうよ」というアナクロなことをずっと内心おもっている。だらだらと楽であるからといって、必ずしも不正や無駄が増えることにはならないのではないか。そうした運営のコツというのもあるのではないか。――それは夢物語なんだろうか。
そんな思いがずっとシコリのようにあるから、やっぱり、新自由主義的な小泉構造改革的な路線には、どこまでも違和感があるのだろう。
才能や性格や仕事や名誉や地位などは、いくらでも競争しあってもいい、もっと格差があったっていい。でもそのときに「とにかく金だけはもっと平等に」とぼくはやっぱりおもうのだ。
<10月11日>
*以上、友人あてのメールより