http://twitter.com/takagengen/status/13190615220
ツイッターを始めて4カ月、なんとなくわかったことがあります。それは、ツイッターの「公共性」が、小説の「公共性」とよく似ていることです。いや、「小説」の「なにをやってもかまわない」という性質が、ツイッターのそれとよく似ているといっていいかもしれませんね。(高橋源一郎)
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小説は今こそ本当に進化するということなのかもしれない。
そして、進化したそれは、
小説に似ているけれど小説と呼ぶべきではないのかもしれない。
いや、そう言うだけでは足りない。
私たちの言語環境は、19世紀くらいから、
おそらく新聞や小説という言語媒体の普及によって
劇的に様変わりした。
しかし、それと同等かそれ以上の劇的な言語環境の変化が、
ここ15年のうちに、少なくとも私の身には起こった。
それまで、私の言語を、公共的に大規模に、
しかも基本的には好ましく覆ってくれるものは、
小説以外には存在しなかった。
今はまったく違う。
小説は巨大で多様で魅力に満ち、
言語の世界、いや世界そのものを
覆い尽くすほどにまで繁栄した。
それはまさにある時代の恐竜を思わせる。
だが、絶滅はいきなり起こる。
とはいえ、必ずしも
ブログやツイッターに負けて絶滅するとはかぎらない。
恐竜は
隕石の衝突という環境の方の激変で絶滅した。
書物がなくなるという環境の激変は、
なにしろ小説には相当なダメージとなるだろう。
こんなこと、もはや当たり前すぎて、
いちいち誰も言わないけれど。