東京永久観光

【2019 輪廻転生】

愛と哀しみの進化論 (2)


ところで、「愛と哀しみの…」と聞いて
何を思い浮かべる人が最も多いのだろう。


愛と哀しみのボレロ
愛と哀しみの果て


私はもちろん「愛と哀しみのサザエさん」だ。
高橋源一郎の小説。『ペンギン村に陽は落ちて』所収。


「愛と哀しみの」といった紋切り型表現は、
ミームと呼ばれるべきだろう。
そうすると、「愛と哀しみのサザエさん」などは、
その突然変異型か。


しかも、私の記憶の島に限っては、
「愛と哀しみのサザエさん」は
他の「愛と哀しみの」を淘汰してしまった。
(自然界全体ではそうではない。
 …といっても、Google自然界の話だが)


なんでもかんでも
「愛と哀しみの」をつければいいと思って、
そうしたのは私なのだが、
それでも、「愛と哀しみの進化論」というタイトルは
けっこう気に入っている。


高橋源一郎の小説の前に
「愛と哀しみのサザエさん」という表現を使った人は
いたのだろうか?
「愛と哀しみの進化論」はどうだろう?


いや、そんなことより、
ブログに書かれたフレーズは
すぐさまGoogleにコピーされ、散らばっていく。
そっちのほうが、なにしろすごい。


人口に膾炙する、とかいうが、
「人口に膾炙する」も人口に膾炙する。


…ジンコーにカイシャ? 何だよそれ。
なますとあぶり肉だとは知らなかった。


あつものに懲りてなますを吹く。


むかし郷里でテレビの仕事をしていたときの話。
ある一般の方が冷やし中華を食べる様子を
撮影させてもらうことになった。
その方は、極度の緊張のせいか、
箸ではさんで持ち上げた冷やし中華を、
なぜか、ふうふうさせながら食べていた。


愛と哀しみの冷やし中華


進化は淘汰によってだけ起こるわけではない。
そう唱えたのは木村資生。
たとえば、耳垢が乾いていようが湿っていようが
生存には関係ない、それなのに、
いずれかの耳垢の人がたまたま増えてしまうことがある、
…といった話だと思う。


では、言語ミームの進化と絶滅は、
自然淘汰(自然選択)によって起こるのだろうか。
それとも中立的に起こるのだろうか。
(あるいはGoogle選択によって?)


愛と哀しみのサザエさん
愛と哀しみのサザエさん


愛と哀しみの冷やし中華
愛と哀しみの冷やし中華
愛と哀しみの冷やし中華


哀し中華?


言語ミームの進化は、
単なる思いつきや親父ギャグによって起こるのではないか?
〜思いつき進化論の提唱〜