東京永久観光

【2019 輪廻転生】

旅する人類

tokyocat2009-12-27


スマトラ沖地震の大津波がインド洋の沿岸を襲ってから5年が経った。被害はタイ南部のリゾート海岸にも及んだ。あのとき「ピーピー島が壊滅」というニュースの声が耳に残った。さほど有名でもないその島を私は以前訪ねたことがあったのだ。


椰子の木が生い茂るきれいな海岸に、無数の宿泊施設が並んでいるピーピー島。とりわけ安かった木造の粗末なバンガローを借り、海水浴の日々を過ごした。朝になるとバンガローを管理する男が自転車でふらりとやってきて、お金を受け取りまた戻っていく。のんきな旅行者を上回って気楽な商売にみえた。津波の痕の様子がテレビに映った時、あのバンガローの男や、あるいはフェリーから降りた私たちをそのバンガローまで引っぱってきた別の人のことが、ふと思い出された。


まるで力の脱けたあのおんぼろバンガローには「アンダマン・リゾート」という名前が付いていた。朝めしの勘定書かなにかに書いてあった。インド洋のうちマレー半島に面したこの一帯を「アンダマン海」と呼ぶことも、私はそのとき初めて知った。


ここで話はがらっと変わる。


私たち現生人類の祖先はアフリカで誕生しその後アフリカを出て全大陸に広がった。その年代とルートは遺伝子の研究から今ではかなり詳しく推定されている。たとえばインドには5〜7万年前に入り込んでいる。しかし意外なのは4〜5万年前にはもうオーストラリアまで到達していることだ。一方でアメリカ大陸に渡ったのは2万年あまり前にすぎず、比べてみればとても早い印象だ。


ナヤン・チャンダ著『グローバリゼーション 人類5万年のドラマ』は、このホモサピエンス拡散の話から書きおこされる。そして、オーストラリア到達の早さはその最も目覚ましい事実であり、「オーストラリアへの急行便」とも言われることを紹介している。


インドからオーストラリアに行くには、舟などで海を渡らねばならないと思われる。といっても、当時は気候の影響で海抜が現在より120mほども低かったそうで、マレー半島インドネシアはかなり巨大な陸地であり、大部分を歩いて移動できたと言われている。


そして先ほどのアンダマン海だが、地図を見るとまさにそのルート上に位置している。実際、その沖合に連なるアンダマン諸島の原住民の遺伝子を調べたところ、アフリカからインドに初めてやってきたホモサピエンスがもっていたはずの遺伝子と特徴が合致したのだという。その特徴はインドや他の東南アジアの人々には失われており、アンダマンの人々が当時からずっと隔絶されて暮らしてきたことを物語っているとも同書は述べている。


なお急行便とはいえ、インドからオーストラリアに着くまでに実際には150世代を要したそうだ。それでも1年あたり3.2キロだから驚異的な早さなのだと言う。ところで私も先日オーストラリアまで行ったが、直行便なので東南アジアは経由せず、ジェット機で10時間だった。あの大津波がインド洋を進んだのも最初はジェット機並みのスピードだったらしい(Wikiより)。


ちなみに、極東日本の地にホモサピエンスが姿を現したのは2万〜1万2千年前とある。やはりユーラシアと陸続きだったが、その後すぐ海に隔てられた。そのせいで、1万年前ほど前に氷河期が終わりユーラシアの各地で農耕がスタートしても、この列島はまだ縄文時代であり、本格的な稲作はそれ以降に伝わったと考えられている。「米飯こそ日本人の魂なり」と感じるのは私だけではないが、起源はもちろん中国大陸のどこかだろう。しかしそんなことで驚いてはいけない。キムチに欠かせない唐辛子なんてのは、アメリカ大陸が原産だったのをコロンブスがヨーロッパに持ち帰り、「南蛮貿易で日本に伝わったあと、豊臣秀吉の出兵によって初めて朝鮮半島に持ち込まれた」という説まであるではないか。


…そのキムチは のちにシベリア大陸を大きく横断することになる。沿海州に居住していた朝鮮系の人々を、スターリン中央アジアまではるばる強制移住させた歴史があるのだ(これはどうも、日本が朝鮮半島満州の支配を強めていたことも影響しているようだが)。その結果 中央アジアカザフスタンウズベキスタンで、キムチは自由マーケットの定番商品となった。やがて韓国系の自動車や航空便までしっかり根を下ろした。そして私もまたはるばる中央アジアまで好きこのんで旅行し、この奇妙な伝播を目撃することになった。


というわけで、今日はこの本を読みながら、グローバリゼーションということについて、あれこれ思いが巡ったのだった。


『グローバリゼーション—人類5万年のドラマ』(上・下)は、ホモサピエンスがアフリカから拡散していった当初から、人類の歩みとは、より豊富な食糧と安全な環境を求めたグローバリゼーションそのものだったことを強調している。さらに、グローバリゼーションの主役たちとして「交易商人」「布教師」「戦士」「冒険家」などを挙げ、それぞれ過去と現在の両方の視点から考察していく。


本はまだまだこれからだが、「グローバリゼーションは良いのか悪いのか」といった問答ではなく、世界の全体をためつすがめつ眺めて初めて浮かんでくるような綾錦を、グローバリゼーションの糸はいかに織り上げてきたのか、それがすごくよくわかりました、みたいな感動を期待している。


現在と自分とに限定して考えたことも書いておくと——。この日本で金銭や物品や情報が海外と行き交う量は、たとえば20〜30年前と比較すれば莫大なものになっていることは間違いない。ただひょっとして、それと裏腹に生身の人間が行き交う勢いは案外しぼんでいこうとしているのではないか。行き来することへの興味自体も近ごろは微妙に失われているように感じられる。毎日ネットばかりやりながら、そんな疑問も頭をもたげてくる。もちろんそれでいいならそれでいい。ただ私個人は、自分が世界を好きなように行き来できることは何より楽しいことだと感じる。商売や布教や戦争はあまり得意ではないので、これは旅行について言っている。あるいは、もっと一般に、グローバリゼーションに仮に悪しき状態があるのだとしたら、金銭や物品や情報がかぎりなく行き交ってみんなが万歳をしている陰で、実はけっこうな数の人々が政治や経済や社会の様々な理由から自由な行き来を妨げられている場合が、それではないだろうか。


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夕方西に沈む三日月の形を思い出せるだろうか。右下の部分が光っているはずだ。ところがこのあいだオーストラリアのタスマニアで見た三日月は、なんと左下が光っていた。やはり南半球では逆になるのだ。かつてタイのそのピーピー島の夜空では三日月が真下に近いところが光っていてなんかヘンだなと思っていたのだが、大きな秘密がやっと解き明かされた気分だった。かつてインドからアンダマン海へそしてオーストラリアへと渡った人たちも、この三日月の変化に気づいただろうか。


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★グローバリゼーション 人類5万年のドラマ/ナヤン・チャンダ asin:4757141653
 (ホモサピエンスが各地に拡散した時期には諸説あるようだが、このエントリーで記した年代は同書の記述を参照した)


関連エントリー http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20070429#p1