なんらかの言葉としてまとまったものごと(概念)が、せいぜい100くらいだった時というのが、私たちの祖先の段階にはあったんだろうか。そりゃあったんじゃないだろうか。「メシ」とか「異性」とか「晴れ」とか? 15万年前くらい前だろうか。
ちなみに、ブックマークして繰り返しアクセスするウェブサイトがまだ100くらいだった時代というのは、本当にあった。15年くらい前。
そこからみれば私たちは大変な時代を生きている。「ウェブ世界は今こそ新しい局面に突入したのだ」…などという台詞も、一度二度でなくあまりに何度も口にしてきた(だからもう使えない)。とりわけGoogleによる飛躍はやっぱり毎度腰を抜かすばかりだった。
そのGoogleが、しかしまたひとつ、新たなステージに我々を招き込んだと思わせる。
◎しゃべった声がそのまま文字になる(しかもそれは万物情報の関連項目を即座に拾い上げてくる)。
◎思いも寄らないやり方で実現した日本語辞書――言語の意味とはその使用である!
◎視覚による像(現実そのもの的)が言語による像(あくまで記号的)と直結。
いや難しく述べなくても、こっちでだいたい体感できる。
http://www.google.co.jp/intl/ja/landing/sagasou/(グーグル検索ストーリー)
言葉が仮に物の名前(あるいは概念の名前)から始まったのだとしても、言葉はもはや物の名前などというシンプルな役割からは遠く遠く離れ…。今や、頭のなかで起こっていることのすべてが緩やかに繋がり緩やかに操られる、そんなひと続きの「言語」がこうして機能している。
インターネットもまたしかりではないか。私たちの最初の言葉がいつ出来ていつメタ的になったり文法的になったりしたのか(最初からだったという人もいるが)、もうだれも覚えていない。しかし、インターネットがいつ出来たのか、それがどう爆発してこうなったのか、そしてこれからどうなっていくのか。それは私たちが今しも目撃している。