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【2019 輪廻転生】

私の宇宙は意味がない

私は以前こんなことを書いた。(http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20080208#p1

【神】「この宇宙が、この私が、この世界のすべてが、たまたま存在しなかったということだってありそうなのに、なぜかこのようにたまたま存在してしまっている!」ことの不思議さに対し、「いやそれはちっとも不思議ではないのだ」と、「おまえとせかいの存在には、ちゃんとわけ(根拠)があるのだよ」と、「おまえとせかいの存在には、いみ(価値)すらあるかもしれないよ」と、信じようとさせてくれる基盤。

神という用語が最適かどうかはさておき、宇宙があることや私がいることに「まったく意味がない」なんてありえようか!

ところが……

スティーブン・ホーキング「人類は、中規模の惑星の上に生じた化学物質の浮き滓にすぎない」

◎リチャード・P・ファインマン「物理的世界がどう振る舞うかに関する理解が次々と積み重ねられるにつれて、それは、物理的世界には意味がないということを示していると理解せざるを得ない」

◎スティーヴン・ワインバーグ「宇宙が明確になるにつれて、宇宙には意味がないということもますます明確になっていく」

いずれも『幸運な宇宙』に引用されたもの。そう、真っ当な科学者なら「宇宙に意味はない」「私たちに意味はない」と断言する。著者ポール・デイヴィスはそれを次のようにまとめている。

「宇宙には、設計、目的あるいは、意味などは――少なくとも、わたしたちにとって意味をなすようなものは――まったく存在しない。神もなく、設計者もなく、目的論的原則もなく、運命もない。生物全般、そして特に人類は、広大で意味のない宇宙に施された意味のない装飾で、その存在は不可解な謎である」

そして著者自身はもちろんこれに同意しない。「宇宙に意味はある」「私たちに意味はある」と確信かつ明言する数少ない科学者なのだ。私がこの本に特別に惹かれた理由もたぶんそこにある。

ただし、では「その意味とは具体的に何?」と問われると「まるきりわからない」のも事実なのだ。それは上記の最後にあるとおり「不可解な謎」と言うしかない。「意味はない」とは、「意味があることを裏付ける原理も材料も現在のところまったくない」ということなのだろう。

宇宙や人間が存在する意味を「知りたい」という熱望と、「知りえない」という絶望。両者はその決定的な強度において拮抗しているのではないか。

そして、「どうしても知りたい」ポール・デイヴィスはその渾身の考察を同書において試みた。トンデモ理論という人もいるだろう。それでも「どうしても知りたい」に共感する読者なら最後まで着いていくだろう。

しかも私が思うに、ホーキングやファインマンワインバーグだって、宇宙や人間が存在する意味を「知りたい」という思い自体は最大限に強い(強かった)にちがいない。実際、彼らの偉大な理論を通じて宇宙のことがわずかでもわかれば、つまり宇宙や素粒子の途方もなさに触れれば触れるほど、「そもそもなんでそんなふうになっているのだ?」という疑問は膨らむ一方ではないか。

ポール・デイヴィスが自らの先達と位置づける故ジョン・ホイーラーは晩年に心臓発作を起こした。自分に残された時間が限られていると感じ、こう言ったという。「わたしは、今後は『どうして存在するのか?』というひとつの問いに集中することにする」。2001年のこと。そして7年後のつい最近、ホイーラーは没した。私はまだだいぶ長生きできそうだが、その問いを解く術もまだ全然知らないのだから、相当焦ったほうがいいだろう。

 *

この根本の問いをめぐるポール・デイヴィス自身の見解は同書に散りばめられている。いくつか記しておく。

《科学を行うことは、世界で何が起こっているのかを明らかにすることだ―すなわち、宇宙は何を「やっている」のか、宇宙の「目的」は何なのかを明らかにする作業である。もしも宇宙が何の「目的」も持っていないのなら、そもそも科学的探究を始める意味などないではないか》(第1章)

《ほんとうに無意味な宇宙が、これほどまで巧妙に意味のある宇宙に似ていることなどありえるだろうか? これはわたしたちがこれから生物、宇宙、そしてすべてのものに関する探究を進めていくなかで直面する、存在に関するさまざまな難問のなかでも、最も難しいものである》(同)

《わたしは、生命、心、目的を真剣に受け止めており、宇宙は、少なくとも、高い水準の精巧さで設計されているように見えるということを認める。これらの要素を、ただ偶然に存在する驚異的なもの、理由なしに存在するものだという考え方を受け入れることはできない。わたしには、ものごとには真の計画があるように思える―宇宙は何かに「ついて」のものであると思える。しかし、そう思うと同時に、さまざまな問題をまとめて全部、恣意的な神の管理に任せてしまったり、それ以上考えることを一切あきらめてしまって、存在はやはり謎なのだと宣言してしまうことにも抵抗を感じている》(あとがき)

 *

原理主義的なキリスト教徒の中には、神がこの世のすべてを創造したと本当に考え、ダーウィンに始まる進化論も間違っていると主張する人たちがいる。この理論は「インテリジェント・デザイン」と呼ばれる。念のため言っておくが、この考えはポール・デイヴィスは完全に否定している。

しかし、元来の宗教については以下のように捉えている。

《宗教は、宇宙を総合的に説明しようとする最初の体系的な試みであった。宗教は、世界は、意のままに自然に秩序をもたせたり、あるいは無秩序にすることができる超自然的な存在である精神、もしくはそのような精神の集合によって生みだされたものだとした》(第1章)

《世界の主流を占める諸宗教では、神の働きによって世界ができたとするこのような説明を、一貫性があり納得できるものにするために、学者たちが何百年にもわたって熱心に研究を行った。今日もなお、何百万人もの人々が、宗教が提示する自然の解釈に基づく世界観を持っている》(同)

《科学は、世界を説明しようとする試みとしては、二番目に登場した大きな流れだった》(同)

このあたりを読んで、ふと、大昔の神学者って何を考えていたんだろうと気になってきた。図書館に行き、ものはためしで中央公論社『世界の名著』を手にする。同書にもその名が挙げられているアウグスティヌス。「告白」の第11巻をめくってみた。

熟読する素養も根気もなく、適当に眺めた印象だが――。アウグスティヌスにあったのは信仰の頑なさだけではない。「神よあなたは如何にして天地を造りたもうたのか」という強い問いかけを秘めているとも思われる。しかも、その答を「どうしても知りたい」……、しかし「どうしても知りえない」……。そんな、上に書いたのとそっくりなアンビバレンツが感じられなくもなかった。

雰囲気を伝えるのに少し書き写す。

《神よ、どのようにしてあなたは、天地をお造りになったのでしょうか。天と地を、天と地においてお造りになったのでないことは、たしかです。気や水においてお造りになったのでないことも、たしかです。なぜならば、これらのものもやはり天と地に属するのですから。全宇宙を、全宇宙の中でお造りになったのでもありません。全宇宙は、存在すべく生成する以前には、生成すべき場所にまだなかったのですから》

また、天地創造の前には時間自体が存在しなかったという考えが述べられており、ビッグバン以前には時間自体が存在しなかったという理論と明らかに類似している。これはわりと有名でたしかに面白い。しかしそれにも増して、絶対的な神もしくは物理学の理論にひれ伏す気持ちと裏腹に、じゃあ「すべての始まりの前とは?」「すべての果ての果てとは?」といった素朴な疑念がどうしてもわいてしまう人間の素朴さは、時代や文化を超えて共通なのかもと思わせていっそう面白い。

《まさに時間そのものを、あなたはお造りになったのですから、時間をお作りになる前に、時間が過ぎさるなどということはありようはずがありません。だが、天地の存在する以前には時間も存在しなかったとすると、「そのときあなたは何をしていたか」などと、どうしてたずねるのでしょうか。時間がなかったところには、「そのとき」などもなかったのです》


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★幸運な宇宙/ポール・デイヴィス(吉田三知世 訳) asin:4822283518
 http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20091107#p1 からの続き
★世界の名著 14 アウグスティヌスアウグスティヌス山田晶 編さん)  asin:4124000944
★私の彼は意味がない/蛭子能収 asin:B000J7GCRE 
 →http://www.ebookjapan.jp/ebj/book/60004159.html
麻丘めぐみ「わたしの彼は左きき
 →http://www.youtube.com/watch?v=Z4JsM4RxghM


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ここに記した私の考えは、7年後、大きく転回した。

https://tokyocat.hatenadiary.jp/entry/20160917/p1