東京永久観光

【2019 輪廻転生】

No Event, No Life


郷里ではおなじみの劇団の芝居を見てきた。今回は複数のコントが演じられた。その中に、ある奇妙な同窓会を描いたものがあった。それは年1回開かれるのだが、実は亡くなった者だけが集う同窓会だとわかる。これまでのメンバーは5人。みな同じように飾り気のない白い衣服を着けている。10代、20代、40代でそれぞれ命を落としたという。今年は久しぶりに初参加の男がやってきた。もう60代。しかし彼は自分ががんで死んでしまったことになかなか気づかない。

そこでは死んだ年齢の姿がそのままとなる。そして現世と決定的に違うのは、もう何もイベントが生じないことだ。凶事も吉事も。永遠にそれが続く。

さて昨夜は、映画『めがね』(荻上直子監督)をDVDで見た。その島と宿屋の界隈では風景や人々の暮らしがあまりに物静かで少し現実離れしている。ひょっとしてここは小林聡美が死んだあとに行った世界なのではないか。…ふとそんな気もして、上の芝居を思い出したのだった。

そういえば、同監督の前作『かもめ食堂』でも似たようなことを思った。(http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20070126#p1

村上春樹世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』の静かな世界も、謎めいているが主人公にとってはおそらく限りなく好ましく心安らぐ少数の人物とアイテムだけで出来ている。『めがね』の島もそうだ。余計な看板や騒音もまったくない。

死んだあとにあんな世界が待っているなら、何も心配はないが、本当はどうなのだろう(わからない)。

映画『めがね』は旅行の話だなあとも感じた。初めての土地。ホテルの部屋や食事。重い荷物。観光。出会い。いや、実際の旅行はひどく騒がしく気分も荒れることが多い。しかしその旅行を思い出す時の気持ちはけっこうあんなふうに物静かだ。たとえばキルギスのイシククル湖(http://www.mayq.net/tabi9924.html#919

死んだあとの世界に比べたら、この世はもっとドタバタしていて、いつまでも忙しく、どこまでもおぞましい。そして、死んだあとの世界は実際に旅するわけにはいかないから、死んだあとの世界を想像することは、旅を実行している時ではなく、旅を回想している時にだけ似てくる。

この世で生きていることと、あの世で死んでいることの違いは、『めがね』を製作することと、ぼうっと鑑賞することの違いにも近いだろうか。演劇を作ることと、ただ見ることの違いにも近いだろうか。

死んだあと、『めがね』の島のごとく、トゲトゲした出来事がもう何もなく同じ状態がずっと続くなら、それは平穏でいいかなと思う。それでもやっぱり、生きているときのドタバタがずいぶん懐かしく、願わくばもう一度と焦がれることにもなるだろうか。

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◎めがね asin:B00120HXCU
かもめ食堂 asin:B000ELGLDA
世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド asin:4101001340