東京永久観光

【2019 輪廻転生】

セミの抜けがら、友愛の旗


スタンダールの『赤と黒』をちびちび読んでおり、フランスに革命が相次いだ遠い昔のことをちょいと思い描いていたところ、昨日はNHKアーカイブかなにかで、自主管理労組「連帯」とその委員長ワレサがにわかに世界の注目を浴びた1980年のポーランドを、磯村尚徳がリポートしていた。

「そうか、考えれてみれば、私がそれなりに目撃した革命というと、おかしなことに社会主義に対する革命ばかりだったか」などと考える。

ワレサはまったくの無名人で2DKに家族と住む工場労働者だったらしい。しかし連帯の言動はソ連を最悪に激憤させた。ポーランド共産党政府もとうとうワレサたちと交渉の、というかたぶん叱責のつもりのテーブルに着く。その様子が映像に記録されていた。連帯のメンバーは政府のお歴々に対し「党員や警官に金を渡すのはやめろ」「党員だけが入れる店も廃止しろ」「我々を陰で脅迫したりするのもやめろ」などなど要求をつきつける。政府はというと目が点になったかんじで、「そのような金は存在しない。そのような店も存在しない」と即座に否定。鉄の男に対して鉄の面の皮というところか。「お前ら、こともあろうに党の上層部をつかまえて、ケンカを売るとは何ごとか!」というムード。

この国の全体主義社会主義がどれほど馬鹿げていたかがとにかく実感できる。恐ろしいのと可笑しいのと半々の気持ちになった。

赤と黒』では、ある地方の貴族市長が、不倫が疑われる自分の妻を「いっそ殺して捨てるか」などとつぶやく。「警察も裁判所もみんなオレの味方だから牢屋に入ることにもなるまい」と。近代を迎えてなお世界はまだまだメチャクチャな時代だったのだ。でも1980年のポーランドもなかなかどうしてだ。

なお当時のポーランドは、経済がまたニッチもサッチもいかない状態。主食の肉が欠乏し、スーパーにはわずかの配給を待って民衆が行列する。棚はがらがらでパンだけが素っ気なく並ぶ。そんなワルシャワの様子をテレビ映像は映し出す。私は1996年にモスクワやキエフウランバートル、99年には中央アジアの国を旅行し、そこで旧ソ連圏の都市の雰囲気というものをいくらか見聞したのだが、80年代初頭のワルシャワは当然まさにそれだった。

そのスーパーを磯村氏が現場リポートしはじめた。通訳の女性と一緒に店内を回る。地元ポーランドの大学の日本語学科の人らしい。こんな頃にこんな所で日本語をなぜどうやって学ぶのやら、と不思議に思っていると、彼女の日本語はほんとうにもうすごいレベルで、「この店にミルクは足りていますか、それとも足りていませんか」が、とうとう最後まで不明だった。異郷観光の迷宮気分を、思いがけず磯村氏とともに味わう。

この時代、世界にはまだ西側と東側の二つがあったのだ。ただもう面白いとしか言いようがない。そうすると今の世界は、やはり西側とイスラム側の二つということになるのか。(まあそれ以外にも、中国にインドやアフリカと、同じくらい想像を絶する別世界がいくつもあるのだろうけれど)

ワレサは当時日本にも来ている。労組が招いたようだ。彼の日本での談話もテレビは伝えている。それを聴くと、ワレサこそむしろ共産主義の理想を過激に追求した人だったのだと感じられた。つまり、その共産主義の理想から世界で最も遠くにあったのがソ連や東欧の共産主義だったということになる。

まあそういうわけで、我らが21世紀ニッポンでも、私が生きているうちに一度や二度は「革命よ、来たれ!」と思ったりする。もちろんこの世に革命ほどハタ迷惑なものはないのだろう。だが、そんな争乱でもなければ世界はたいして変わらないのも本当ではないか。日本や世界は今、「世界史的な危機の時代」なのかもしれない。しかし同時に「世界史的な退屈の時代」ではないと、誰が言えよう。