東京永久観光

【2019 輪廻転生】

そういえば私の1984年だって他の誰の1984年とも違う




1Q84を「世界水準」「桁違いのスケール」と絶賛しているのは加藤典洋だが、そうじゃないでしょ「セカイ水準」の間違いでしょ、と言い返しているブログがあって、思わず笑った。1Q84は「大長編ドラえもんの世界じゃないか」という見立てもあったが、似たような読後感なのかもしれない。


http://d.hatena.ne.jp/font-da/20090817/1250525023(キリンが逆立ちしたピアス)
http://d.hatena.ne.jp/orion-n/20090621(不連続な読書日記)


ともあれ、「メシうま」とは今まさに『1Q84』。もうそれは国民的、百年単位のおかず。…というわけで、『村上春樹1Q84」をどう読むか』と『村上春樹1Q84」の世界を深読みする本』を一緒に買ってきて、楽しんでいる。


村上春樹1Q84』をどう読むか asin:4309019331
村上春樹1Q84」の世界を深読みする本 asin:4821142759


1Q84は、三軒茶屋から渋谷に向かう首都高速から始まり、新宿の中村屋も出てくれば東京駅の総武線快速ホームも出てくる。青豆と天吾が住んでいるのは自由が丘や高円寺のアパート。私にはとても身近な東京の各所が舞台なのだ。『深読みする本』は、そうした場所をいちいち写真入りで整理してくれているので、とても面白い。まずこの本を参照して小説の世界を思い出すとよいだろう。登場人物とその相関図も親切に示されている。「パシヴァ」「レシヴァ」「マザ」「ドウタ」といった妙なキー概念についても復習できる。


『どう読むか』は30人余りのレビューを素早く集めたもの。こっちもいろいろ参考になる。共感できるところもたくさんある。それに「深読み」の形容が当たっているのは、むしろこっちの本だろう。たとえば武田徹の評。虚構内虚構である小説「空気さなぎ」はものごとの真偽の決定不能性を示すが、宗教世界の内部にかぎれば真偽は決定可能となる、加納クレタとは「クレタ人は嘘つきだ」の解決が「可能」だという暗示なのだ、といったぐあい。まだ全員のものは読んでいないが、かつてオウム真理教に関する言論をめぐってパージされた(ひどい話だと思う)島田裕巳の談なども、素朴で真っ当なものに思えて、うなずいている。


それでまあ、1Q84への種々の賛否を読んでいて私がどうしても言いたくなるのは、「そもそも小説とは何であるかの合意なんて、全然できていないよね?」ということだ。もっと具体的に「村上春樹の小説は私たちの社会や生活にとっていかなる位置に存すると言うべきなのか」という前提すら、世界の読者にも日本の読者にもなんら明瞭ではない。この際まずはそれを思い起こしたほうがいいのではないか。もちろん「小説とは何か」の枠をそれぞれ勝手に当てはめて語って、それぞれに面白いのだから別に無益ではないのだが、この人が決めた枠がこの小説の深い読書や感想の土台たりうるのかというと、首をかしげるものもある。


これがたとえば選挙前の政党のマニフェストなら、私たちの社会や生活にとって意味は明確なので、すぐに議論ができる。あるいは、同じ芸術表現であっても「書道とは何か」などであればけっこう合意ができている。つまり、半紙や巻紙に「国の総予算207兆円を全面組み替え」とか「税金の無駄遣いと天下りを根絶」とか墨書された作品が書道コンクールに応募されてきたとしても、それを前にした審査員たちは、まさに墨書された文字の優劣を見きわめるのであり、「税金の無駄遣いという指摘は正しいと思うね」「だけど官僚の抵抗を考慮するとあまり現実的ではないな」といった議論をしても仕方ない。そんなことは誰でもわかっている。


ところが小説作品となると、案外そうしたことが明瞭になっていないと、私は思うのだ。


長編小説は言語を自由自在に操りつつ物語や思考を思うぞんぶん展開できる表現形式だ。とにかく色んなものがぶち込まれるし、色んなものが引き出されてしまう。そのおかげで「小説とは何か」なんて一義的には誰も決められない。


じゃあどうするか。


たとえば、『1Q84』を読むことが他のいかなる営みに似ていたか、それを示すことから感想を始めたらどうだろう。


でも、それを明瞭に言うのも実は難しいのだ。それを明瞭に見きわめられたなら、それ自体が素晴らしい感想となり素晴らしい評論となるのかもしれない。


私はというと、武田徹島田裕巳の評にふれて、少し思い当たったことがある。私は村上春樹と『1Q84』を、宗教をとりあえず信じてみるかのように、とりあえず信じて読んでいたのではないか、と。そして今もそうしているのではないかと。


もちろん宗教といってもいろいろだ。スタンダールの『赤と黒』を面白いと信じて読むのは、葬式で坊さんの説教を信じるようなものだろう。それに比べ、『1Q84』を信じるのは、やっぱりオウム真理教エホバの証人といった特殊宗教に近い気がする。農村コミューンを信じたりNHKの受信料を信じたり正義の殺人を信じたりすることにも近いのかもしれない。夜空に月は本当は二つありアポロが到達したのは小さい緑の月のほうだったのだと、ためしに信じてみることにも近いかもしれない。


1Q84村上春樹 asin:4103534222