東京永久観光

【2019 輪廻転生】

世界が観測できる理由


複雑に変化するものを複雑に変化するまま表現することは不可能だ。だから、揺れうごく日々や思案を固定した文章に定着させようとすれば、どうあっても「なんか違う」と感じてしまう。エントリーの保存ボタンを押す際いつもちょっと迷うのは、道理なのだ。逆に、いつまでも書き終えなかったり、あるいはどんどん書き足したりするのは、それが変化するままに任せておきたい気持ちの現れなのかもしれない。

しかし、複雑に変化するものも、同じく複雑に変化する別のなにかに捕らえられてしまえば、気持ちがよい。つまり、外部の事情で瞬時に停止させられてしまえば、自らが作為的に動きを停止する違和感からは逃れられる。

それはたとえば、誰かから思いがけずメールやコメントが舞い込み、レスをさっと書いてしまうような場合だ。常に揺れ動く私の思案が、同じく常に揺れ動く相手の思案と交錯することで、一瞬の静止画となる。私のもぞもぞ動く100の触手が、相手のもぞもぞ動く100の触手と、なぜかことごとく絡みあい結びつく!