東京永久観光

【2019 輪廻転生】

小林秀雄 食べ放題(590円)


きのう昼飯のお供に、小林秀雄考えるヒント』の文庫を買った(asin:4167107120)。「言葉」と題するエッセーに、「姿ハ似セガタク、意ハ似セ易シ」という本居宣長の引用がある。《ここで姿というのは、言葉の姿の事で、言葉は真似し難いが、意味は真似し易いと言うのである

この、ひねたというかひねったというか、逆説を知って、これは、「映画は人間ドラマを描くものと決まっているわけではないだろ(趣旨)」という黒沢清のぼやきと同じなのかも、と思った。つまり、人間の心やドラマの意味なんて、かくのごとく真似しやすいんだよと。そうすると意外に真似が難しいのは、やはり「映像」ということになろうか。

宣長は、「歌は言辞の道なり」という。歌は言葉の働きの根本の法則をおのずから明かしている、という意味である
歌の発生を考えてみると、どんなに素朴な情が、どんなに素朴な詞に、おのずから至るように見えようとも、それはただ自然の事の成り行きではない
思うところをそのまま言うのは、歌ではない、ただの言葉だ。而も、そのただの言葉というものも、よく考えてみたまえ、人はただの言葉でも、決して思うところをそのまま言うものではない事に気が附くであろう

さて話は変わって、たまたまその夜は、インターネットで小林秀雄の講演の音声データがすぐ聴けるとわかった。「あれまた小林秀雄」と思いながらアクセスしてみた(以下 ただし登録が必要)

http://www.imeem.com/people/Zp80bq/playlist/5XFP20pr/music-playlist/

「信ずることと考えること」と題するもので、ユリ・ゲラーの話から始まる。どうやら小林秀雄もテレビ放送のひとつを見て、ユリ・ゲラーの念力で時計が動いたらしい。そのあとベルクソンの話、近代科学の方法という話になっていく。ここからは、『考えるヒント』の冒頭で小林が人工頭脳を考察した「常識」も思い起こす。小林秀雄はこうした録音がけっこう残っており、この甲高い声も有名なようだが、べらんめえ調の落語のようなムードもあり、楽しい。

というわけで、昼のうちは、小林秀雄というひとつの古典が、本居宣長というさらなる古典に、そして万葉の歌にまで遡り、しかもそこで考えられていることは、現在の私にも興味の真ん中を突いているなあ、本当に面白いなあと感心していたのだが、夜になって、そうか小林秀雄はごく最近まで生きていて、ユリ・ゲラーにも遭遇しているんだと再認識し、いっそう新鮮な驚きを得たのだった。もちろん20世紀少年の私も、あのテレビは家族そろって見ていた。祖母が果物フォークを指でこすりながら画面に食い入り、ふとみんな気がつくと、フォークが本当に曲がっていた。

それにしても、人間ドラマというなら、『ぐるりのこと』も『歩いても、歩いても』も人間ドラマかなあとは思う。たしかに日本映画に人間ドラマは多いかもしれない。といっても、黒沢清はこれらを全否定しているのか部分否定しているのか分からないし、そもそも「人間ドラマ」が悪いというより、「人間ドラマ」かどうかなんてどうでもいいだろ、あるいは「人間ドラマ」ばかりで飽きたよ、という気持ちなのだろう。http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20090226#p1

しかも重要なことは、『ぐるりのこと』なども、たしかに「人間ドラマ」としても良く出来ているようだけれど、その人間ドラマ自体が個性的で面白かったのだとは言い切れないと、自分の視聴をふりかえって思えることだ。『歩いても、歩いても』もまた、いかにもきれいな人間ドラマのようにみえて、少なくともきれいな物語ではまったくない。このあたりはまたいずれ。

ちなみに昼飯を食べたのは新宿3丁目、イカレー&ヌードル食べ放題880円の平日ランチだった。→ http://r.gnavi.co.jp/g038505/menu4.htm

タイ料理の味や食べ放題ランチというドラマも、どの店もみな似ているといえば似ているか。真似しがたいのはいったい何なのだろう?