ホワイトデーのお返しに、この一冊はいかが?
★贈与論/マルセル・モース(ちくま学芸文庫)
asin:4480091998(文庫はこれでした) asin:4326602120
《「私はそれをあなたにお返ししなければならないのです。それはあなたが私にくれたタオンガ(#チョコレート)のハウ(#怨念)だからです」》
《受け取られ、交換される贈り物が人を義務づけるのは、貰ったものは生命のない物ではないということに由来する。贈り物をした人がそれを手放した後でも、それは彼(#彼女)の一部になっている。その物を通じ、贈り物を受領した者に対して影響力を持つのである。というのは、タオンガはその森、郷土、土地のハウ(霊)によって生命をふき込まれているからである》 訳=吉田禎吾、江川純一 #=tokyocat
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ところで、省庁が自在に操る合法的な汚い金こそ徹底的に追求されるべきだ。その目的に限るなら政治家のほうは少々あいまいな金も使ってよいと、私は考える。では小沢さんがもし収賄の罪を犯していたら? それはちょっとまずいか…
収賄罪は贈賄罪より重いという。金を贈りたい切実な気持ちはまあわかるが、それをいいことに権力者が金を受け取ってはけっしてならないのだ。ただし! その法律は主に公務員を糺すためにある。官僚ら役人の収賄というのは議員の収賄などに比べたら1000倍も悪質だと、たしかに私は思う。
ともあれ、小沢一郎の失墜とは何か。それは、日本という共同体が民主制=資本制のニッポンにいよいよ完敗することを象徴するのではなかろうか。
加えて、経済システムとしては、贈与という不文律の領域がもはや生き延びることを許されず、市場という明白な原理だけに支配される時代の到来(かも)
しかし、贈り物とは、かつて人との交換のみならず神霊や自然との交換でもあったのだ。
《人々が契約を結ばねばならない存在、また人々と契約を結ぶためにある存在の最初のものは、死者の霊と神々であった。したがって、それらは地上の物や財貨の真の所有者であった。つまり死者の霊や神々と交換することが最も必要であり、交換しないことは極めて危険であった。しかしながら、それらと交換することは最も容易で最も安全であった》
もちろん今の私には、まず神社やお寺にお金を捧げるという習慣はない。また、地元や業界における身近なボスとまったく何も交換しないのは極めて危険だ、とまでは考えない。
しかし! だからといって、すべての金を市場の神だけに委ねるなんてのもまっぴらだ。役人に奉納する税金もなるべくもう勘弁してほしい。じゃあどこへ捧げる? みんなでいろいろ思案すればいいじゃないか。それが贈与の経済学だ。
贈与ということで思い出した! 「ごはんおごります。」(http://ogoru.tv/)