東京永久観光

【2019 輪廻転生】

格差体験


ネパールにポカラという都市がある。ヒマラヤの眺めがよく、そこから軽く山登りするトレッキングも観光の定番だ。11月にネパール旅行した私も、ポカラに数日滞在し1泊の山登りに出かけた。以下はそのときの出来事。


ポカラに戻ってくる2日目、尾根に沿った小路を歩きに歩いた。ずっと平坦で天気も良く気持ちよい行程だった。途中 集落も現れ、山村の質素な住居や人々の姿は、くりかえし眺めてもぜんぜん飽きなかった。

その集落の入り口に茶店があった。ちっぽけだがちょいと目をひく青で柱を塗ってあり、じゃあここでと昼飯をとった。野菜と卵のスープ麺。といってもたぶんインスタントラーメンだった。

事件(というか…)はそのあと起こった。

一本道をまた集落の先へと歩いていくと、小さな女の子3〜4人とさらに小さな男の子1人がまとわりついてきた。茶店にいる外国人の私を見つけていたのだ。「ハロー!」そして「マニー!」 満面の笑みでコビてくる。さらに「チョコレート!」

こういうとき私は即座のリアクションができない。どうしたものか。聞こえないふりでどんどん歩く。しかし子どもたちは離れない。私の手をつかんで引っ張りながらどこまでも着いてくる。一度はかごめかごめのように輪を作って取り囲み、歌までうれしそうに歌い出した。みんな服はぼろいが学校の制服のようだ。

困っていると、向こうから別の少年が1人やってきた。きりりとした顔つき。同じ制服を汚れもなくきちんと身に着け、黄色い腕章みたいなものまで付けている。利口な児童会長というところだろう。案の定、事情を察したようで、子どもたちを一喝し私から追い払った。…しかし、それもつかのま、子どもたちはすぐに私を追いかけてきた。またさっきと変わらぬ状況で、らちがあかない。

そうこうしているうちに、さらにおかしなことに遭遇した。

今度は、道路わきで何か作業していたやや年かさの少年少女の一団が、私に声をかけてきたのだ。よかった、この子たちをまた引き離してくれるかと期待したが、そんなふうもなく、一緒にただ笑っているので、がっかりし、ちょっとむかついた。

すると少年の1人が「どこから来ました?」と聞いてきた。ただのあいさつと思い「日本から」と答えると、続いて「英語の文章が読めますか」と言う。薄っぺらいノートが差し出され、開くと粗末なボールペンで10行足らずの文面が書かれている。要するに「私たちは地元の少年少女クラブです。サッカーなどを楽しみたいです。どうか援助してください」という趣旨。ははあそういうことか。隣のページには、過去に寄付してくれたという外国人の署名まである。オランダの某さんとイギリスの某さんの2人だけだが、寄付額はどちらも「1000ルピー」と記していた。ああ困った。状況は輪をかけて悪くなった。

いつのまにか少年少女は人数が増え、道の真ん中で私を取り囲んでいる。中心でなお踏ん張っているのは、さっきからの小さな子どもたちだ。そして全員がそろってただ私を見つめ、返事を待っている。その笑いはニコニコというよりやっぱりニヤニヤというかんじだった。

いくつか質問した。「このクラブっていつ出来たわけ?」 スポークスマン的な役割をしている1人の少年が答えた「えーと、今月です」。「ふ〜ん。じゃあ、お金をもらったら何を買うつもり?」「それは、サッカーボールとか。良いボールは高いので」。「だけど、サッカーなんてどこでやるの?」「あ、それはあっちです」向こうの空き地を指さした。小さい子どもたちもクラブ員なのかと尋ねたら、「いやこいつらは関係ないです。まだ小さいから」とのことだった。

彼らは純粋に援助を求めているのか。それとも純粋に利潤を求めているのか。分からなくなってきた。

この世にはさまざまなタイプの経済活動がある。ここで私から彼らに貨幣(ルピー)が移動したなら、それはオールタナティブな経済であり事業でもあると言えるかもしれない。今日の経済活動を代表する資本主義も最近はヘンテコなのが目立つ。借金の取り立て権(券)がなぜかにわかに高騰したり暴落したり。冗談みたいだが、それによってたとえばリーマンの連中の手には本当に多額のドル紙幣が行ったり来たりするのだ。紙くずから金くずへ(そしてまた紙くずへ)

この小さい子どもたちも、この大きな少年少女たちも、今思いがけないニッチをつかみ、私の手をつかみ、私の財布にも手をかけようとしている。

「いくらほしいのかな?」 聞いてはいけない質問をしてしまう。「それはあなたしだいですよ」。ああ途上国観光典型会話集。「そう。じゃ50ルピー」などと私が言おうものなら、彼らは自分の生活がどれほどひどい状況なのか、時には私にどれほどのサービスをしてあげたと思うのかと、長々と口上が続き、私の答えが100ルピーにそして1000ルピーになるまで終わらないことは必定。

ぐずぐずしても仕方ないことは最初からわかっていたのだ。私は1000ルピー札を渡すことにした。さらに100ルピーを追加し、「あの小さい子らが金をくれ食べ物をくれとずっと着いて来たから、こっちは必ずあの子らにあげてくれ」と伝えた。そしたらもうなんだかその場にいるのがイヤで、ほとんど振り返らず、すたすた歩き出した。

でも振り返りたい気持ちも強かった。それはどうやら、自分が善人に見られたか偽善者に見られたか、どっちだろうと気にしているのだ。しかしもちろん、私が何者であるかなど、彼らもこの世もべつに知りたいはずもない。ともあれ彼らはお金が入って幸運だろう、少なくとも今日は1000ルピー分は幸運だろう。そう思い直す。やれやれ。

ところが! その一本道をほんの100メートル歩いたかというところで、またもや!!

今度は家の戸口に立っていた白い服の大人だった。私の姿をみつけて慇懃に話しかけてくる。「ハロー」。手にはなんと似たようなノートを持っているではないか。 「ちょっとこれ、読んでもらえませんか」。

私は反射的に逆上してしまった。「あんたたち、これって、ビジネスなのかよ」というようなことを口に出し、その人があっけにとられて苦笑いするのを見るか見ないうちに、またすたすた歩き出していた。

しかし私は何に腹を立てたのだろう。功名な手口にむかついたのか。少年たちはきれいな思いだったのであり、私もきれいな思いで応えたのだということにして収めてきたのに。でも本当はみんなそろって私を騙しているのか。つまり私は馬鹿か。そう、私は自分に悔しい気持ちがしたのかもしれない。

いや本当はそれより、またもや財布から1000ルピー出さなきゃいけなくなりそうで、もうこりごりと感じたのではないか。単に1000ルピーが惜しいというのもあろう。あるいは、またしても、「私は金を渡すのが正しいのか、渡さないのが正しいのか」「渡すのが正しいとしたら、いったいいくら渡すのがよいのか」などと悩むことが、もうホントにイヤだったということもあろう。そうした煩わしい問答が頭をめぐること自体を避けようとして、私は怒ったのではないだろうか。

そんなふうに考えながら、なんだか逃げるように歩みは速まるのだった。が、それと裏腹、このまま立ち去るのが気持ち悪いというふうにも思い始めた。あの白い服の人は、実はほんとに大事な用途のためにまじめに援助を求めていたのかもしれない。もしそうなら、お金を渡す渡さないはさておき、ひどい対応をしてしまったことが申しわけない。その点は率直に謝りたい気がしてきたのだ。

私はまわれ右をした。さっきの白い服の人を探すことにしたのだ。へんなところで私は諦めが悪い。ところがさっきの家のところにはもう誰もいなかった。あたりをきょろきょろ見渡して行ったり来たりする。人々が集まっているところがあり、そこに白い服の人が一人いた。顔はちゃんと覚えていないので、「あの〜さっき、Did you talk to me?」と声をかけてみた。しかし英語が通じなかった。たぶん別人だった。(関係ないが、「You talkin' to me?」という『タクシー・ドライバー』の台詞を思い出していた)

http://jp.youtube.com/watch?v=NMaTfAn7KAs

後味の悪い体験になった。これほどのどかな山村が世界のどこにあろうかというような風景の中を歩いていながら、まったく。


そのあとこう思った。少年たちが私に見せたあのノートだが、もしそこに書かれた文面が以下のようであったなら、私はもう少しすぱっと気持ちよくお金を出せたのではないか、と。

お前はたまたま日本人で金持ちなんだから、たまたま金のないオレたちに、さっさと金を渡しやがれ! 口は出さなくていい、金だけ出せばいい

そうだ。金を多く持つ者が、ものまで多く言うというのは、おかしいのだ。いろいろ思案する暇もよけいなのだ。世界のこの不条理のせいで困窮せざるをえないのは、金のない者だけで十分なのであり、金のある者が成り代わって困窮することではない。金のある者はただ金を出せばよいのである。(いや、こうした思案自体が「うるさいよ」と言われても仕方ないのだろうか)

トヨタやGMの経営者は、いつかこの山村を通ることがあったら、1億ルピーくらいは黙って置いていくように。

ちなみに、ちょうど読んでいた安部公房『飢餓同盟』では、ある種の奇妙な革命や事業の方法が模索されていた。私が出くわしたこの少年たちや小さい子たちの方法は、それをいっそう滑稽に幼稚にしたようなところがあった。「戯画同盟」。そんなフレーズが浮かんだ。


備考:「後発開発途上国」という区分があり、多くはアフリカの国々だが、ネパールもその1つとされている。1人当たりGDPは約294ドル(http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/nepal/data.html



 *



似たようなことを他でも考えた。こちらは登山1日目の日記から。



登り始めると、段々畑がみごとに広がっていた。牛2頭で畑を耕している若い男が、話しかけてきた。「日本人ですか」「あなた1人ですか」「ガイドはいないのですか」

ガイドいないのかということを、ふもとの方でも時々聞かれたが、そうか、「私をガイドに雇ってくれ」という意味だったのか。そりゃやっぱり、毎日牛を引っ張って働くより、ちょっと一日だけ先進国の連中をそこの山の上の方まで連れていってやれば、破格に儲かるのだろう。

「そんな楽をせず、地道に働けよ」と、われわれがたしなめるのはおかしい。

先進国の観光客が、さんざんけちって疑ってようやく支払ったいくばくかのドルが、この国の人には驚くほどの価値をもつ。たしかに魔法のごとしだ。しかし、われわれだって、株や債券という紙幣以上にへんてこな紙くずが、なぜか途方もなく巨額な価値に変わってしまうのを受け入れている。そっちのほうがもっと悪魔的ではないか。これまた錬金術

リーマンの会長は、ここに来て彼らをガイドに雇い、1億ドルくらいポンと渡せ。


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ついでにもうひとつ。こちらは、ネパール行きの飛行機に乗り込んだバンコクの空港で考えたこと。



搭乗ゲートの前で椅子に座り、同じカトマンズ便に乗るためにやってくる主に西洋の人々と、それを待ち受けるタイ航空の若手女性スタッフ陣を眺めていた。

西洋の人々は、近代の文明生活とは何なのか、贅沢とは何なのかについて、考えてきた歴史が、やはりアジアの人よりずっと長いと評するべきなのだろう。好みのファッションを決めるときの妥協のなさでもかなわない。かなり高齢の女性が一人、みごとにおしゃれをつくした衣装で姿をみせたのを見て、そう思った。このたとえば白洲正子みたいなお婆さんというのは、日本じゃ今もまだ少ないだろう。でも西洋には珍しくないのだろう。

しかし、そんなことを考えていたら、その高齢女性、ファーストクラスの客が先にコールされると、すました表情のまま我々をおいてさっさと搭乗していった。

飛行機のファーストクラス。格差ということの存在がこれほどあからさまになる時は他にないのではないか。私たちの世界が今後いかに賢明になろうとも、飛行機のファーストクラスとエコノミークラスの違いだけは絶対に揺るがないのかもしれない。


ところで、同じく西洋人と東洋人を眺めていると、近代的な哲学を深めてきた歴史というのもやはり西洋の人たちは長いのだろうなと、しみじみ感じたりもする。ところが、そのあと、Tシャツ短パンサンダルに手荷物は丸めたスポーツ新聞だけという西洋ヤング2、3人が、じつに楽しそうに搭乗口にやってきたのを見て、そうでもないかなと思い直した。


飢餓同盟/安部公房
  飢餓同盟 (新潮文庫)