保坂和志『小説、世界の奏でる音楽』(asin:4103982071)
いや〜どう凄いのか、うまく言えない。でも、なんとなく、独特に凄いんだよ。・・・とばかり評するのはもういいかげんにしておくとして。(「なんとなく」にもじつは正当な根拠があるのだと保坂は書いているが)
保坂和志は小説家として小説を書くことについてずっと語っている。つまり、自分はこの仕事(小説書き)を長年やってきたが、それを通して「こんな不思議にぶつかりましたよ」「こんなカラクリに気づかされましたよ」といったことを説明している。その仕事をしていない人にもそれを丁寧に伝えようとしている。この著作のもとになった『新潮』の連載とは、すなわちそうした作業だったのだ(きっと)。保坂の説明は揺るぎない自信に満ちているが、それは日々その仕事に没頭してきた体験に裏打ちされてもいるのだろう。
それでふと思った。私たちもときどき小説とは何かということが気になり、ときにはテキトーなことを言ったりもするけれど、それよりなにより、私たちは、毎日いやでも長時間を費やして考えたり行ったりしている自らの仕事についてであれば、相当深いところやエグいところを誰しも語れるばずだ。バスの運転でもよい、家電の販売でもよい、システムのプログラミングでもよい(これだけはブログで語る人がけっこう多いけど)。そこから見えてくるものは、保坂が小説書きをとおして探り当てた人間の認知や世界の構造といったことの説明と、案外共通していないともかぎらない。
実際、このブログでは仕事のことをほとんどネタにしていないが、そのうちちゃんと記してみたいとは思っている。想像でものを言うことにも大いに可能性はあろうが、体験でものを言うことには確実性がある。
ところで、保坂のこの著作は、新潮の連載をたまに眺めたり、前作にあたる『小説の自由』と『小説の誕生』も手にしてきて、たしかにこれまで「なんとなく凄い」という印象だったのだが、今回『小説、世界の奏でる音楽』をきちんと読んでみると、実際には明確なテーマが掲げられており、あまつさえ結論というべき部分すら散見されるので、驚く。
たとえば、「2 緩さによる自我への距離」の p74〜75:
《閉じた人間関係の原理だけがリアリティのある人間関係なのだと頑固に言い張る人がいるだろうが、その人たちは本当のところ何によってそれにリアリティがあると考えているのか。現実というよりもむしろ自分が読んできた小説がそうなっていただけなのではないか》(中略)
《小説はリアリティがあるからおもしろいのではなく、おもしろい小説には何らかのリアリティがある。この関係を間違ってはいけない。読者にしろ書き手にしろ、リアリティがどういうものであるか、本当のところ事前に何もわかっているわけではない。だからこそ小説が書かれて読まれることに価値がある。》(1行あけて)
《いま登場人物について書いたことは、思えばすでに書いた比喩と書き手の心理について書いたことと基本的に同じことを言っている。近代人の自我はそれだけで確立したものではなく近代小説とともに確立したという説は、簡略化されすぎているにしても間違ってはいないだろう。その観点に立てば、ロートのような緩さを持った小説は救心性の強い自我と別の自我へと人を開かせる可能性を孕んでいるのではないか。》
この章は新潮の連載時にも読んで心に留まっていたようで、ブログに記していた。
http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20061202#p1「気づくことも説くことも難しいが」
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(追記11.08)さらに読み進め、私たちが生きているとは一体どういうことなのか、最も深く納得できる説明のところへどんどん降りていくかんじがしている。『小説、世界の奏でる音楽』は、すべての世界の人が、今すぐでなくていいけど、必ずいつか読むべき本だ。
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◎参考になったリンク http://outofthekitchen.blog47.fc2.com/blog-entry-541.html
◎同趣旨の保坂本『書きあぐねている人のための小説入門』について http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20050415#p1
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ところで、さっきTVで角田光代(小説家)が自宅の本棚を前にインタビューされていて、今7冊の本を並行して読んでいる、それはこれこれで、という話をしていた。7冊が何の本だったかしっかり覚えていないのだが、寝る前に読む本がブローティガンの『芝生の復讐』で、移動中の電車内などで読む本または一休みする時に読む本がたしか山本文緒の小説本だったようにおもう。小説家は小説を書くのが仕事だが、小説を読むのもかなりは仕事上の必要からなのだろうか。一般に仕事の必要で読む本は好きで読む本とかぶるとはかぎらないが、小説家の場合はどうなのだろう。それと、併読している7冊には小説が多く、たとえば経済学の本とか脳科学の本などはなかったように思う(たしかではないが)。まあそれでもいいのかな・・・。逆に、平均的日本国民の読書バランスとしては、小説の本をもっと読むべきなのか・・・。