東京永久観光

【2019 輪廻転生】

ブログ脳、グーグル脳


わけあって自宅で数日間インターネット接続ができなかった。一応パソコンを立ち上げても、じつに何もすることがない。しかたなく自分の書類フォルダにある自分のファイルをいくつか開いてみる。が、あまり面白くない。ニュースやブログでなくても何か読めればそれでいいのかと思うのに、そうでもないのか。

そのうち「Googleデスクトップ」を使って目的もなく検索をしてみることにした。こういう場合 人はどんなキーワードを打ち込むのだろう。たとえば「ウィトゲンシュタイン」。結果はインターネットのGoogleと同じように表示される。しかしそれはすべて私のパソコン内の検索だ。懐かしいファイルがいろいろ。「探究1(柄谷)メモ」とか「ウィトゲン鬼界メモ」とか。

それに交じってなんと、5、6年前に考えていた小説のアイディアと粗筋と断片的な習作をまとめたファイルが出てきた! ほとんど忘れている。改めて読んでみると、これがけっこう面白い。ひょっとしていけるんじゃないか。そんな気になったり(そんなことは初めてだ)。考えてみれば私はもう10年も20年も「小説を書こう、小説を書こう」とばくぜんと思いつつ、結局なにも実行できずにきた。しかしこれは予期せぬきっかけになるやも。(ちなみにウィトゲンシュタインはほとんど関係なかった。登場人物の1人があることをウィトゲンシュタイン理論で解明しようとしている、という設定らしい)

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いくどか述懐しているけれど、パソコン生活も10年以上経過すると、蓄積されたファイルのありか
はもはや記憶に頼っては把握しきれない。したがってハードディスクの全文検索がきわめて重要になる。そのツールは今どれくらいのレベルのものが一般に使われているのだろう。Googleデスクトップはやはり注目株なのだろうか。マックOS付属の検索システム「Spotlight」も、Googleデスクトップと似たような結果が出るが・・・というかGoogleデスクトップがSpotlightを利用しているのだろうか・・・

こうしたファイル管理の戦略として、ブログに書いておくというのは、全文検索以上に有効だと感じられる。ブログはそれなりにまとまった文章にしていることや、リンクによる連結と想起が仕組みとして容易かつ頻繁であることから、自分のファイルとしては格別で、意識や記憶の上層に位置することになる。言い換えれば、はてなのサーバがクラッシュしたら私の記憶はもう冗談抜きでヤバい。

(脳の記憶にも、そのように特に強固な連結と想起を行っているブログ的な部分 が存在するのだろうか?)

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ところで、Googleは、個人個人のパソコンファイルもインターネット検索全体の中へと組み込みたがっている。

たしかに、私の知識や思考は、一部が私のパソコンディスクに委ねられているごとく、同じくその一部はインターネットにも委ねられているのだから、「内のGoogle=パソコン検索」と「外のGoogle=インターネット検索」を連結するのは、この私にとっても合理的なのだろう。

しかも、そうしたGoogleの多様な操作に熟達することによって、自分の知識や思考というものを飛躍的に可視化できるかもしれない。さらに、その自分の知識や思考が蓄積され構成される記憶の仕組みすら可視化できるかもしれない。

そしてまた、ブログ化された私の知識や思考は、もう外のものなのか内のものなのか、どっちとも言えない。(もちろんGoogleにすれば内も外もない)

ただし。自分もすべては知らないような自分のすべてを、Googleという単一の巨大ディスクに漏れなくスキャンされキャッシュされディレクトリ化されてしまうことの気持ち悪さ。20世紀生まれの私には、たぶんそれは一生消し去ることができないだろう。(なんというか、プライバシーが全裸で股を広げているような状態ではないか!)

・・・と思う一方、私もメールに関してはその半分くらいをとうとうGoogleに明け渡している。だから、私の最後の砦たるこのパソコンディスクも、今後どうなることやら。