「なんとなく分かる」や「だいたい分かる」が最も当てはまらないのが、たとえばゲーデルの不完全性定理なのではないかとおもっている。つまり、分かるか分からないかの核心の境目が非常にはっきりしている気がするのだ(不完全性定理自体は分からないのに、そんなことだけが、まさになんとなく分かると言うのも、不思議といえば不思議だが)
しかしこのゲーデルの定理は「アクセスはしやすいが登りにくい山」だともいう。岩波文庫から出た『ゲーデル不完全性定理』で林晋がそう書いている。アクセスしやすいところがかえって曲者とも言えるのだろう。
たしかに私もゲーデル登山はリピーターになった。ただし毎度ふもとの宿で1、2泊して帰ってくる。いやいつも天候が悪くて……。「この次は頂上を目指しましょうね」
それでも、カントール、ヒルベルト、ラッセル、ブラウアーといった数学者の名前だけはもうおなじみになった。つまり、大河ドラマなら信長や秀吉くらいに重要で定番のキーパーソンだろう。そうすると、ヒルベルトが抱いた数学の夢は「なんとなく」戦国時代の天下統一への野望を思わせなくもない。
というわけで、人文系の学問なら「なんとなく分かる」「だいたい分かる」が成り立ちやすいのだろうか。あるいはそれがすべてか。とりわけ歴史くらいならお前にもなんとかなるよ、といったようなことが『バカのための読書術』(小谷野 敦)にたしか書いてあった。
それにしても、林晋が10年をかけたというこの一冊は、どうやら長く待たれていたパーフェクトな不完全性定理解説本の決定版になるのではないか。なんとなくそう思う。
参考:http://www.shayashi.jp/HistorySociology/HistoryOfFOM/Books/books.html