東京永久観光

【2019 輪廻転生】

「かもめの日」ほか


NHK週刊ブックレビュー』がテレビに映ると、本の話だからと見ようとするのだが、自分が読んでいない本について自分がよく知らない人が熱く語っていても、たいていのめりこめない。ところが先日は、ゲストで登場した作家 黒川創が著したという新作『かもめの日』に、無性に惹かれるものがあった。

インタビューからうかがい知れるその小説の雰囲気そして構造に、心が動いた。それとあの児玉清さんが、あの温かく品のある表情や口調で、もうお世辞抜きで本当に心にしみいりました、といった愛でかたをしていたのが、かなり好印象だった。

それで読んでみたのだが、たしかにこの雰囲気と構造はあまりにも期待したとおりだった。そうして間違いなく心にしみてくる。

朝は、誰の上にも、適当にやってくる。この地球の上では、夜の終わりの尻尾の先など、誰もつかまえたことがないのだから。

読み始めてほどなくやってくるこの一節。『週刊ブックレビュー』でも引用され、ここがまた読んでみようと決めたポイントだったことを、思い出した。

ブログのエントリーでいえば反射的にブックマークしてしまうような鮮明なニュース性、タグ性には欠ける小説かもしれない。しかし「かもめの日」は、このプロットやひとつひとつの文章が、きっと丁寧に大切に組み立て仕上げたのだろうと感じさせ、自分の時間をいくらでも委ねたくなるのだった。私は小説を、読みたいというよりむしろ読まねばという気持ちで読むことがじつは多いが、この小説は、めずらしくただ先が読みたくて仕方なかった。映画『クラッシュ』の東京版といった趣きもややあった。

読み終え、ネットで感想などを探してみると、読売新聞に書評をなんと小泉今日子が書いていた。ちなみにこの小説を映画化するなら、主たる女性2人のどちらとも、小泉今日子が演じるとぴったりではなかろうか。

ネットでは他にも書評がいろいろ出てくる。たいてい共感のストライクゾーンに入る。この小説の感動を述べようとすると、誰もが同じ構造や同じ雰囲気について同じ口調で褒め称える、のかもしれない。まったく意表を突いた感想を抱くということを、あまり想像できない。

なお、この小説は『新潮』に書き下ろしで掲載された。じつは私はきのう図書館でその『新潮』のバックナンバーを見ていて、あ、これ「かもめの日」だとおもい、早速借りて読むことにしたのだ。

さて、その『新潮』の同じ号には、偽日記古谷利裕氏が書いた「書かれたことと書かせたもの――青木淳悟」が載っている。

それでおもった。青木淳悟のとくに「四十日と四十夜のメルヘン」などは、この小説のどこが面白いのかを語ろうとしたら、誰だって本当に途方に暮れてしまうだろう。その点は、たとえば「かもめの日」などとはあまりにも異なっている。(どちらの小説も私は捨てがたく好きだと言いたいが)

そんな青木淳悟の小説は、ではどのようにしてであれば書かれうるのか。そして私たちはそれをどのように読むことになるのか。といった、本当はぜひとも分からなくてはならないのに、でもどうせちゃんとは分かりようがないだろうし、まあ分からなくてもいいかと思っている問いに対し、この評論は、独力による解答をひとつ、板書でもするように確実に示している! 

量子力学コペンハーゲン解釈もあれば多次元解釈もあるといったことに似て、青木淳悟の解釈もやっぱり何通りもありうるのだろうが、まずは解釈がちゃんと成立したということが、なにしろ驚きだった。

この『新潮』(2008年2月号)には、高橋源一郎田中和生東浩紀の大討論「小説と評論の環境問題」も載っている。これぞまさに強いタグ性をもった人気エントリーというべきで、こちらは私も雑誌が出たころに読んだ(もちろんこれも面白かった)。しかしそのときは、冒頭の330枚一挙掲載「かもめの日」を、まるきりスルーしていたことになる。児玉清さんのおかげです。


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かもめの日 asin:4104444030
週刊ブックレビュー http://www.nhk.or.jp/book/review/review/20080517.html
かもめの日 書評(小泉今日子) http://www.yomiuri.co.jp/book/review/20080512bk01.htm
新潮2月号 http://www.shinchosha.co.jp/shincho/backnumber/20080107/
映画 クラッシュ asin:B000EUMM98