若いころも私は東京に住んでいた。ざっと30年も前だ。そのころ暮らした街を ただ訪ねてみたのは連休中のこと。
「懐かしい」とは世にも不思議な心のはたらきだ。あほらしい思い、つまらない行い、そんなことばかりを懲りずに繰り返した人生も、「懐かしい」というただそれだけによって報われ、しかもそれ以上の果実を与えてくれる。
この街に住んでいたとき、銭湯へ行っていたはずなのに、それがどこだったか思い出せない。それがまた不思議でしかたがない。近くを歩いて1件銭湯を見つけた。写真を撮ってみた。ここだっただろうか。そうではないという確信は持てない。そうだという確信も持てない。
当時の日記でも読み直すと分かるだろうか