東京永久観光

【2019 輪廻転生】

北京五輪の聖火リレー


例の中華屋に、といっても私にとって例のだが、その後もしばしば行く。渋谷の「上海食堂」(店名判明)。相変わらず「使えません」と張り紙のある自販機が入り口にあり、帰りには相変わらずそれがレジスター代わりになるのがふしぎだが、ふしぎなりにそういうシステムということでもうすっかりおなじみだ。「この自販機よくない。お金入れる。チケット出る。お金も出る」と店の人は言う。たしかにそれはよくない。http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20080119#p1

大盛りの各種ラーメンと丼ものなどのセットがいずれも500円という破格の値段だったわけだが、さすがにもっと高くても大丈夫と気づいたのか、ほどなくしてラーメンも丼もそれぞれ単品で提供されるようになり、しかも値段はセットの時と同じ500円という正直な転換が行われた。最近さらにメニューが増え、回鍋肉や青椒肉絲などの定食も食べられる。こちらは600円だが、量が間違いといっていいほど多く、麻婆豆腐の小皿(というか中皿)まで付いてくるなど、懲りていない。そういえば中国のいろいろな食堂で庶民の食べっぷりをなんどか見たことがあるけれど、たしかにみんな大食いだったかなと思う。多くのばあい周囲をはばかることなく楽しそうに食べていたようにも記憶する。

きょうは、帰りの自販機レジの支払い時に、店主とおぼしき人物が「油っこいですか」とニコニコ話しかけてきた。「え? いや、でもおいしいです」とかテキトウに答えると、さらに片言の日本語が続いたのだが、うまく聞き取れず、曖昧に笑うしかなくて残念だった。「そんなことより、あなたは北京オリンピックをどう思いますか」とか質問してみたい。チベットはやっぱり独立してもらっちゃ困りますか。胡錦涛とか好きですか、嫌いですか。日本人は正直どんな感じですか。

けさはもちろん、長野の聖火リレーで歩道を埋め尽くした中国の旗をテレビで見ていた。私にとって中国って何だろうと考える。そのような問いも答えも明瞭ではないが、私にとって日本って何だろうという問いや答えがやっぱりなかなか明瞭にならないのと同じだとも言える。

ともあれ、中国という問題、北京オリンピックという問題は国際問題とされるものの、私にとって中国や中国人は、年を追うごとに、国内問題と言えるほど身近に迫ってきていることは間違いない。というか、渋谷の飯屋なんてみな、経営から言語から味付けからすっかり本格中華風に転じる日も、やがてやってくるのではなかろうか。

さて今さら言うのもなんだが、今回の聖火リレーにともなう各国での騒動は、いずれも面白くてしかたない。スポーツのイベントにはあんまり興味ないけど、こうした政治っぽいイベントならテレビにかじりつき、という人は私だけではないだろう。

オリンピックも聖火リレー聖火リレーの妨害も、傍観するより参加することに明らかに意義がある、娯楽もあると思われる。「一日一チベットリンク」なども、まったくもって秀逸な運動であり、そこに乗り遅れて傍観しているだけだといかにも寂しいのだ。

チベットについて。

1989年に私は中国を旅行していた。パキスタンの山村地方からウイグル自治区の西端へと入国し、そのまま東へ東へと進んだ。ディズニーランドに行きたいというのと似たようなかんじでチベットに行きたいとも思っていた。だから、敦煌から青海省のゴルムドという小さな町まで移動した。ここからチベット行きのバスが出る。ところが、切符売り場で「西蔵」と書いた紙を何度見せても、向こうはただ首を横に振るばかり。この手の個人旅行の場合、そもそもここが本当にチベット行きの切符売り場なのか、そんなことも今ひとつ確信がもてない。それでたしか町の少し外れにあるバス停を探して行ってみた。するとバスはふつうにやって来て、いかにもチベットの風貌や旅装の人がどんどん乗り込んでいく。ところがそこでも皆一様にダメだダメだと言うのだった(かどうかは分からないのだが、いかにもそんな顔をしていた)

そもそもチベットは個人では旅行しにくく、しかも天安門事件という大変な事態が起こった今、チベット入りはもう無理だろうと、旅行者はみんな分かっていた。でも分かっていても一応ここまでやってくる。そして、中国の地図をみてもあまりに漠然としたイメージのゴルムドなどという所まで時間をかけ苦労してやってきてしまえば、すごすごUターンするのはやっぱり悔しいのだった。

そうして宿と町で暇な数日を過ごすうち、ひょんなことで(ひょんってどういう意味だ?)地元の人と知り合った。小学校で音楽の先生をしているというその女性は、英語が達者で、国民党だった父親が共産党に殺されたとか、文化大革命下放政策でゴルムドに来たとか、そういうことも話してくれた。そんな都合よく人と出会いそんな都合よく話が聞けるのかというと、こういう旅行ってけっこうそんなものだ。

家にも招いてくれた。同行していた別の旅行者と2人で訪ね、手作り料理をふるまってもらった。旅行中のノートには「玉子トマト炒め、小エビ入りカブ炒め、ナス・オクラ・ピーマン炒め、玉子トマトのスープ、麺。おまけに海南島産のコーヒーまでご馳走になってしまった」とある。

そこに、同じ小学校で音楽を教えているというもう一人の女性も加わっていた。そして彼女は、チベットの踊りを見せてあげましょうと、その場でリズムを口ずさみながらちょっと踊ってくれたのだ。それが興味深いことに、坂本龍一『音楽図鑑』の1曲目「Tibetan Dance』冒頭のリズムとそっくりだったから、非常に印象に残った。チベットは行けずじまいだったが、チベットのダンスだけはかいま見たわけだ。

この話に結論はない。中国はけっこう身近だが、チベットはとても遠い、ということが言いたいだけだ。その後もチベットは訪ねてみたいと思いつつ、実現していない。そうこうしているうちにラサまで鉄道が通ったのは、ご承知のとおり。

ところで、善光寺の坊主はチベットのために何をしてくれたのだろう。そもそも坊主が私に何かしてくれたことはあるのだろうか。しかしそれを言うなら、チベットの坊主もこの私にいったい何かしてくれているのだろうか。などなどこの間に考えた。

民族弾圧は中国によるチベット支配だけなのか、とも考えた。あるいは逆に、メディアスクラムは国際世論による中国叩きだけなのか、とも考えた。封殺されている言論は映画『靖国』だけなのか、とも考えた。

もちろん、よくないものは、みなそれぞれ、単に、よくない、のだが。

私の友人に受動喫煙に対する抵抗運動を続けている者がいる。あるとき彼は、東チモールの問題について活動している人に対し直接こう言ったことがある。「東チモールのことに僕はあんまり関心がない。なぜなら東チモールは遠いから」と。

ふつう、「その問題が遠いからといってその問題を無視してはいけない」というのが教訓とされる。しかし彼はこう言いたかったのだ。「遠くの問題を無視するより、近くの問題を無視するほうが、もっとよくない」と。

ともあれ、私にとってチベットは今なお遠い。

もちろんやはり、遠いからといって無視してよいわけはない。そして、信念に基づいて聖火リレーを妨害するくらいの行為は、私は「立派だ」としか思えない。

また、信念に基づかず面白半分に聖火リレーを妨害するくらいの行為も、私は「楽しそうで羨ましい」としか思えない。

だって、今回の聖火リレーの妨害をするくらいのことではない、文字通りの暴力にすら、私は共感が完全に0パーセントではないのだから。

しかしながら、こういうことも考えた。私がもし本当に暴力を支援するなら、あるいは、私がもし本当に暴力を実践するなら、少なくともそれは、私自身の怒りや恨みに本当に直結する場合だけにしておこう、と。