リサ・ランドール『ワープする宇宙』を読み始めた(からといって読み終えるとはかぎらない)。副題は「5次元時空の謎を解く」。
この宇宙には私たちがなじんでいる縦横高さの空間だけがあるのではありません。もっと多くの次元が存在していてもおかしくないのです。いや実のところ私はそれが実在していると信じています。どうもそんなふうに著者は述べている。そりゃすごいと思う。ところが、一方で我々はブレーンと呼ばれる限定された次元の中に閉じこめられており、そのために、結局その余剰次元にはほぼまるきり手が届かないのが定めでもあるらしい。
そのあたりは、なんというか、「あなたのすぐそばには霊界があります。ただ悲しいかな、あなたにはそれが見えず触れもしません」みたいな弁にも感じられて、かえって面白い。
余剰次元の説明に付随してさらにいろいろ新しい概念も提示されていくのだが、それもなんだか、霊界の説明に付随して天使だの悪魔だのの話を微に入り細に入り聞かされているような気がしなくもない。たしかに、霊界が実在するなら天使が実在していてもおかしくはない。あるいはまた、悪魔が実在するためにはそりゃ霊界が実在しなくちゃならんだろう。
この霊界、…じゃなくてこの余剰次元ときわめて関わりが深いのが、かの「ひも理論」だ。ひも理論というのは(私はよく知らないが、知らないなりにこういうことかなと思っているのは)、この宇宙はただ一つの基本要素から出来ている、言い換えれば、あらゆる物理現象はたった1個の法則で説明できると考える。単純明快。電子と陽子と中性子があってというよりもっとずっと基本にしてもっとずっと単純な理論。それはなんだか、この世のあらゆる現象を賢明にも経済だけで説明しようとするのに似ていると私は思っている。この世界がどれほど複雑に見えようと、基本要素として実在しているのは貨幣もしくは価格だけなんですよ、それが多種多様に組み合わさることであらゆる現象が起こっているにすぎないのですよ、みたいな。(この世を生き延びるには単純明快な法則がある、「勝てる相手と、戦え」「勝てなければ、逃げろ」「逃げる力がなければ、それを貯めろ」それだけだ、というようなのも、ちょっと似ている)
ひも理論には余剰次元が前提されているようだ。つまり、ひも理論が本当であるためには余剰次元が本当に存在しないといけない。また、ひも理論が正しいなら余剰次元も正しいことになるのだろう。たとえ話ばかりだが、霊界や天使や悪魔というモデルの上に構築される究極の「かみ理論」といったところだろうか。
意地悪く評しているように聞こえるかもしれないが、真面目に読んでみると、余剰次元が存在していないと考えるほうがおかしいのではないかと説得されてくる。その度合いは、「広い宇宙で地球以外に生命が存在していないと考えるほうがおかしい」というのと近い。ともあれ、これはけっして余剰次元の信仰についての本ではない。いわば余剰次元の哲学書? デカルトの神の証明みたいでもある?
なお、この余剰次元の話の核心のようにして出てくるものがある。重力だ。そこがまたなんだかよく分からないもののなんだかとても凄いことのようで感動してしまう。私たちが閉じこめられたこの世界と、それとは隔絶された余剰次元世界とを、唯一行き交うことができるものが重力だというのだ。まるで現世と霊界をつなぐシャーマンのような、…と言うとまた茶化している印象になってしまうが。
ところで、リサ・ランドールはコンドリーザ・ライスと語感が似ていないだろうか。米国女性かつ図抜けた能力と地位というのも似ている。性格も似ているのだろうか?
なるべく中身に触れない書評。
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関連本といえば『エレガントな宇宙』asin:4794211090
感想→http://www.mayq.net/elegant.html