東京永久観光

【2019 輪廻転生】

長江哀歌(ジャ・ジャンクー)

中国解体、骨の髄、てなかんじの映画だった
http://www.bitters.co.jp/choukou/(公式サイト)
下高井戸シネマにて(前日)

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中国は何度か旅行したことがあって、町を歩いても移動をしても観光をしても、すべてが腹立たしいのを皮一枚上回ってすべてが面白くて仕方ないのだが、山あいの長江をゆく船の中の人々をアップで長々と黙ってパンするあのファーストシーンは、その中国のへんてこな面白さのあらゆる要素を盛り込んでいると感じられた。脇目もふらずトランプしているし、タバコばっかり吸うし耳にもはさむし、ごくふつうに裸になっているし、だれかは熱心にひとの手相をみているし、みんな安そうなマジソンバッグを持っているし(中からはお茶と琺瑯カップが決まって出てくる)、とにかく騒がしいし、あといろいろ。

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妙に惹かれたのは、香港俳優チョウ・ユンファにあこがれているあの青年。役者ではなく地元の一般人として出演したほうの一人だろうか。彼が主人公の男と親しくなり、近所の食堂でなにか食べている場面。日本の我々にはガサツにみえる、くちゃくちゃ音をたてて食べるあのやり方とか、それから、主人公が持っていた紙片をオレにみせろと言うときの、我々には横柄にみえるあの仕草とか。ああ中国だなあと思う。

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中国のジャ・ジャンクー監督が、中国の面白さを、異邦人である私と同じところに感じてしまうということはあるのだろうか。まああるのかもしれない。中国は経済に格差があるだけではなく、たとえば沿岸の成金都市の住人からすれば、あのような内陸の貧困都市の光景は、もしかしたら「いやはや」と映ってしまう部分があるのかもしれない。

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ところで、最近よく行く渋谷で中華料理の安い店を見つけた。看板は「上海ラーメン・炒飯」だったか。皿には「上海食堂」とある。明らかに中国なまりの日本語で案内してくれる。ラーメンとご飯もののセットばかり10数点。麻婆豆腐ラーメンとか豚角煮の丼とか。それがみな一律5百円と、涙ぐましい。量も半端ではなく空腹じゃないと辛い。渋谷センター街の奥のほうにあり、その辺りはちょっとしたラーメン激戦区でもあるのだが、周囲に比べてこの価格は不気味に低い。

おもしろいのは、ドアを入るとすぐ自販機があり、ああ前払いかと思いきや、使えませんといった表示がしてある。で、帰りにさて会計をという段になって、しかしレジが見当たらず、あれという顔をしていると、その自販機前にうながされた。そして係りの人が私から500円玉を受け取り、それをなぜか使えないはずの自販機に投入するのだった。するとやっぱりチケットが出てくる。でも客はもう用が済んでいるのであり、どうやらそのチケットは会計管理用にしまっておくそういうシステムなのだと推測される。まあどうでもいいのだが、要するに、そうしたおかしな要領や光景の連続に、日本の私が脱力してしまう体験の繰り返しこそ中国観光だったということを、言いたい。

その中国を最後に訪れてからもう久しい。でも、ここのラーメンは中国の味がするのだ。といっても私にとって中国の味というのは、どうやら八角の香りを指す。

話は飛ぶが、いずこの国の料理にも、他国の人のほうがむしろ気づきやすいクセというものがあるといった話が、こちらに書いてあって興味深かった。

http://d.hatena.ne.jp/mmpolo/20080107/1199651255

八角が気になるなんてのは、たぶん、私が中国人ではないからだろう。タイ料理ならコリアンダー、韓国料理ならやっぱりニンニクか。で、日本食は何かというと、それは意外かもしれないが砂糖なんですよ、というのが上記の趣旨。そうなのか! 

さてさて、匂いというのは視覚や聴覚に比べ、記憶としては忘れさられている度合いが大きいと私はおもっている。しかしそれゆえに、かつて知った匂いにふいに出くわしたような場合には、そのあまりの懐かしさに立ちすくんでしまうほどのことが、昔の写真を見たり昔のレコードを聞いたりしたとき以上に起こる。

そして、八角とかの刺激を受けると私は、あのおかしなおかしな中国旅行の日々が、口の中にも脳の中にもぶわっと広がってしまうのだ。街中の屋台で使っていた質の悪そうな油の匂いや、そのそばでまき散らされていた同じく質の悪いガソリンの匂いなども同様。

そしてそんな匂いが『長江哀歌』のスクリーンからはぶわっと放出されて、くるわけはないのだが、ジャ・ジャンクーの映画とはいつもそんなような体験なのだ。なお、匂いはさすがに出ないが、やかましくも懐かしい口論などの騒音のほうは、シーンから確実にぶわっと広がってくる。

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もっといろいろ言いたい。


長江哀歌 (ちょうこうエレジー) [DVD]