東京永久観光

【2019 輪廻転生】

ご用心


一休禅師は、正月にドクロを棒にさして振り回しながら京都の家々を訪ね歩き、大いに迷惑がられたと言う。「門松は冥途の旅の一里塚 目出たくもあり目出たくもなし」。正月だからと浮かれるな、常に死を思えと説いたということのようだ。(単なる目立ちたがりの変わり者だったとも思えるが)

たしかに、この1年を顧みて反省し反芻し、諸事もいったん始末をつけ、それではとまっさらな気分で年を越すというのは、生と死の境を越すための予行練習にいいかもしれない。同窓会などがあればさしずめ葬式の予行練習か。

仕事納めに忘年会、大掃除に帰省ラッシュ。毎度大ごとだが、それもせいぜい数十回繰り返せば、こんどは人生自体が大晦日になってしまうのだから、不思議ではある。

「今年もあっという間でしたね」と毎年言うのも、そもそも1年は長いものではなくもともと短いということなのだ。ではどれくらいあれば本当に長いと感じるのか。たとえば1年が3000日なんていう星に生まれていたら、初詣やお年玉も今よりそうとう力が入るだろうか。

1年が予想を裏切って短いのだから、5年や10年や80年もやっぱり永遠みたいに長いわけではなかろう。一休も実は、満87歳まで長生きしたくせに、死の間際には「死にとうない」と述べたそうだ。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E4%BC%91%E5%AE%97%E7%B4%94

だから人の一生もできれば800年くらいほしい。だがそうすると、正月なんてちっとも珍しくなく、蕎麦や雑煮を食べる気も失せるのか。年賀状を書くのが楽しいのは小学生のころだけで、あとはひたすら面倒くさくて面倒くさくて…。団塊世代が年金をもらうのもまだまだ700年も先。