東京永久観光

【2019 輪廻転生】

パールハーバーなんかなくてもすんだかもと想像してみようじゃないか


爆弾や拳銃で他人を殺したり自分が殺されたりすることが、ぜんぜん平気だとか生き甲斐だとか、心の底から思うような人は、賭けてもいいがめったにいない。それなのに戦争はなくならない。「いや戦争なんて誰も望まないさ。当たり前だろ。だけど、みんなが戦争をしたくないからといって、みんなが戦争をしなくていいというふうには、この世の中なっていないんだよ」。大人はいつもそう言う。1000回くらい聞いた。そうかとも思う。いや、それでも私は「そうではないのではないか。たんに、みんな戦争を本当になくそうとはしていないがために、戦争が本当にはなくならないだけなのではないか」と、1001回くらい呟く。

ちょっと叙情的なことを言うが、今ジョン・レノンは天国か地獄かで「俺は間違っていた。平和なんて実現しない。これからはピストルを携帯して暮らす」と憤慨しているだろうか。そんなことはないだろう。

…いや、そうか、そもそも天国なんてないんだった!

それでふと以下のことに気づく。

熱心なキリスト教徒やイスラム教徒は、「神や天国なんて本当は無いのだ」という発想転換を、どうしてもできないのだろうか。そうした信仰の薄い私たちからすれば、いとも簡単なことに思えるのに。神に縛られる辛さやそれを捨てる難しさのほうが、むしろ私たちには今ひとつ実感しがたい。

だが、そんな私たちにもどうしても捨て去れない、ある強固な観念がある。

戦争だ。

Imagine There's No War. 

ああ、私たちにはそれができないのか…。できないのかもしれないね。「戦争なんて無くてもすむのだ」「戦争が無いような世界もありうるのだ」ということが、私たちには想像できない。でもそれは、キリスト教徒が「神なんて無くてもすむのだ」「地獄が無いような世界はありうるのだ」とはどうしても想像できないのと同じだ。

端からみれば、どちらも、本気で疑ってみることをたださぼっているだけかもしれないのに。